2013年6月8日土曜日

続・運動会


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 4 日(木)晴れ

 一限が始まる頃になって教室へ入って来たTwelve を見るやいなや、英語の宿題を見せ合った。Some も前に出題されたように、一日と一週間にしたことを書くのだったが、われわれはよく似たことを書いていた。Twelve が Story of Insects という本を読んで十時に就寝したのに対して、ぼくは Die Leiden des jungen Werthers(英語の宿題だが、ここは本の原題のドイツ語を書いた)を読んで十時に就寝したのである。Beautification week in our school や athletic meeting や concert をどちらも書いていた。

 三限までを四十分授業で行なって、昼食と準備をし、続運動会が正午から開催された。体操クラブの美しく、またハラハラさせる演技が最初の種目だった。「兄弟競走」と名づけられている二人三脚に出たが、前の走者と衝突して倒れてしまう。起き上がってからフィールドとトラックの境目のところでよろけながらも、力を奮って駈け続けた。Ryusuke が「皆やめたがいや」という。ぼくが、追い抜けそうにもない三位の走者ばかりを見つめていた目を後ろへやると、本当にあとには誰もいない。ホームのために一点さえも取れなかったのが残念。
 二百米走。Charco は走る前から勝利者だった。彼と一緒に走らなくてよかった Jack は Dan を半間ほど離して覇を取った。ホーム対抗継走では、われわれのホームの AK 君がバトンを渡す前のカーブのところまで Jack を押さえていたので、天晴れと思っていたら、最後に抜かれた。さらに女子がさっぱり奮わなくて、得点圏外に落ちてしまった。他方、Jack の健闘も、第二走者以下がよく、また最終走者が Charco の十一ホームの前にはおよばなかった。(注 1)
 フクチャンがその言葉を書いた旗を持っている漫画もあった戦争中の標語「打ちてし止まむ」の「う」を同じ行の最下段の音に変えた題がつけられていた二年男子の競技は騎馬戦だった。「化粧競走」では、走る前に顔に水をつけ、手を後ろに縛る。半分走ったところに、メリケン粉の中に飴を隠した入れ物があって、そこで顔を粉の中へつっこみ、飴をくわえてから再び走るのである。ゴール付近へ行って、どんな形相でやって来るかを見物した。誰だか分らない顔で走って来る。目の中までも白いのがいる。ファッファッと煙をはくように粉を飛ばしながら来るのもいる。片側だけ白いのや、口だけ白いのもいる。走る石膏面はコッケイで可愛そうだ。
 クラブ対抗リレーは、文化クラブと運動クラブのレースが別々に行なわれた。われわれの新聞部は、Jack が最初に走り、あとは皆二年生でつなぎ、三位となった。 脚、足、脚、足、脚、足…。
 各ホームの得点が閉会式で発表になり、賞状と賞品の授与がある。一年生では、Jack の活躍した十三ホームが一位。Charco が気をはいた十一ホームが二位。わが十五ホームは六位。>(注 2)
引用時の注
  1. Charco こと MYK 君は高校時代に石川県の男子百米走選手として国体に出場し、後に金沢大学の体育学の教授となった。定年退職後、父親のあとを継いで、僧職に専念している。
  2. 「六位」と書くと、まだ下があったように聞こえるが、1 年生のホームルーム数は 6 しかなかった。

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