2013年6月8日土曜日

道也先生の言葉に疑問


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 3 日(水)晴れ[つづき]

 『徒然草』第十二段「同じ心ならむ人と…」を習ったが、さっき Lotus が不等式について聞きに来たことは、ぼくにこの朋友論を、伯母の家へ行くまでの短い道々思い合わせて考えさせた。
 そぐわないもの、相容れないもの、それはあらゆる物質の分子の間に大きな隙間があるように、われわれの間に、狭い場所にごちゃごちゃと生きているわれわれの間に、無数に浮かんでいるのである。埋めても、埋めてもなかなか埋めきれない小穴といった方がよいかもしれない。しかし、それはそのままでよい。それで強く凝集していることが出来れば、何も穴を埋め尽くす必要はないのだ。

 未来へ、未来へと——。これと反対の向きに少しでも流れる——流れるのではいけない。それは完全に退歩だ。反対の向きに手をかざして目を向ける——これが「半白の老人」だと、漱石の書いた「野分」の道也先生は決めつけた。「少壮の人に顧るべき過去はない筈である。前途に大なる希望を抱くものは過去を顧て恋々たる必要がないのである。」少し反対したい。あとで考えよう。

 母から三枚目の葉書が来る。伯母の家へ夕食に行くと、祖父がきょう母宛に書いた葉書をぼくにことづける。講習の終わる明日の午後から、母は京都の伯父の家へ行くのだから、投函しても間に合わない。保管しておいて、母が帰ってから見せよう。
 祖父の葉書を読んでみる。表の差出人の名前の上にわざわざ「父・」と書いてある。「謹啓、仲秋の御天気は如何にも爽快です。結構で有益なる講習も最早残り二日になりました。」祖父が講習を受けているようだ。「Y 男さんが先日来風邪で欠勤してゐますから達夫さんも風邪にかからねばよいがと気づかってゐますよ。」優しいことだ。「今日は雨の多い金澤も準日本晴れの気候で大層暖かき二階座敷の縁側で此葉書を認めたのです(十一時十分前)。」「実に一日千秋の思ひで暮らしてゐますよ。」これでは、伯母の世話が行き届いていないように聞こえる。

0 件のコメント:

コメントを投稿