2013年6月19日水曜日

打ち解けて競い合いたい


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 11 日(木)晴れ[つづき]

 昨年われわれの先輩が使った T. K. K. 発行の『解析 (I) 』にあった x + 1 < √(25 − x2) が、 Hotten が帰ってからのぼくを考えさせた。階下の姉さん(注 1)に聞いてみたが、かえってこちらから説明をつけなければならなかった。三重の手間をかけてようやく答えが出ることを自分で見つけた*が、これもあまり喜びとならない。
 消えたっ!(注 2)向かいの家の Sound の弟が、「外で本読めれる」と、可能動詞の未然形にさらに可能の助動詞をつけていったのが聞こえる。西洋の古城の、崩れかかってツタがからみついている石壁を照らすのに似つかわしいような月の光が射している。青みがかった銀色の屋根瓦の波を見ながら、挑戦とも、尊敬とも、恍惚ともつかない感情の文字を組み立てることを想像した。それより先には、Ted A と Ted B が次のように討論したのだった。
「せっかく広がっている憧憬的な世界を…」
「しかし、それについて迷っているならば、初めから無関心であり得るという性格だった方がどんなに…」
「迷うことはある。あるにしても、そんな世界を知らないよりは…」
続いて頭の中に並べ立てた文字群の、決して新しくもなく、十分に自分の意志を表していないことに気がついたとき、パッと打ち切られた。ガチャガチャとコーラスをしていた虫たちが、指揮者のタクトの動きが一瞬小さくなったのに応えでもしたかのように声をすぼめ、間もなくデクレッシェンドした。そこはよかったが、あとは変化がなく、念仏のようだ。念仏! 狂ったぼくは、誰の前にひれ伏そうと考えていたのだろう。——ひれ伏すのではない。しかし、あまりこうした考えをもてあそんでいると、実際にひれ伏さなければならないようになるかもしれない。——もっと打ち解けて競い合いたいものだ(注 3)。いまや、そのことで頭が一杯である。
Ted による欄外注記
 * と思ったのは、早まりだった。
引用時の注
  1. 日記には滅多に登場しないが、間借りしていた家の長女、S・T さん。当時、高師付属高校 3 年在学中か、あるいは卒業したばかりで、なかなか優秀な人だったが、数学はあまり得意でなかったのかもしれない。高卒の資格で、私の母が勤めていた盲学校の見習い教員になり、講習を受けて免許を取得し、間もなく正教員になったと思う。
  2. 当時は、停電がときどきあったようである。
  3. このように考えていた対象は、いわずと知れた Vicky。

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