2013年6月20日木曜日

卒業生の合唱練習に中学へ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 10 月 13 日(土)曇り

 ——数分間こうしていたが、何も書けない。

 FJW 編集長は熱意があり過ぎて、思慮が足りない。意見を述べさせてそれをまとめて行くべき議長をやっていて、前編集長 Gamma や Deco の発言に対して、躍起となって応答していた。

 Dan を誘って行こうと、二時半に家を出た。しかし、彼は宇都宮書店へ行ったということだった。学校の前を通ると、Jack と Tacker がまだ帰らないで遊んでいたようで(何をしていたか聞いたら、「勉強」といっていたが)、ちょうど校門から出て来た。彼らは Dan が出かけたことを知っていて、いまから行けばどこかで会うかもしれない、といってくれた。如来寺の前を曲がったところで、その言葉はもう実現した。Dan に近づきながら、けさ学校で PTA 会長の子息から手渡された紙をポケットから取り出し、もう一方の手で彼の自転車を押しとどめて、「こんな紙貰わんけ」といった。手に取ってから「何や」というから、貰っていないに違いない。「卒業生? 混声合唱? TK(先生)やな、自慢らしい」と、Sam に会うたびに呼吸のことを気にする彼は、高飛車ないい方をする。それでは、一人で行かなければならない。しかし、Octo を誘ってみることにして笠舞へ下ったが、彼は学校からまだ帰っていなかった。
 Marlo と Chorlo が来ていた。Chorlo がシルクハットのような感じのする文字で、「卒業生の合唱練習は音楽室で行います」と小黒板に書き、Marlo がいくつかの赤丸を傍らにつけて、玄関に立てた。先生が一番低いところに立っているように出来ている教室へ行くと、三、四人の小柄な女生徒たちがメダカのように群れている中に KKM 君(紫中在校生)がいて、アコーディオンを引いていた。間もなくわれわれは、作り替えられて明るくなった音楽教室で、フォスター作曲『あこがれ』の「思えば」のところがミスプリントされて「あーーもーーえーーば」となっているままを何度も歌った。きょうはまだよかったが、再来週の日曜日はもっと揃う(何が? と聞かれたら、「練習しなければならないプリントが」と答えてもよいが、それだけではない)そうだから、大変だ。テノールかバスを歌う性の人物は、他に「話せる人」と KRS 君というのが来ていた。

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