高校(1 年生)時代の交換日記から
Sam: 1951 年 9 月 27 日(木)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 28 日(金)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 29 日(土)晴れ[つづき]
「輸送課! 輸送課ですか。いまね、二水高校のね…、はいはい…そうですか、…そうですか、…分りました、…ええ、どうしてもですね、…よろしい、そう告げましょう。」まるで、お好み電話だ(注 1)。やっぱり駄目らしい。
団体でなければ、六時二十四分のに乗って貰っても差し支えないがね、割引は一割だ(とんでもない、そんなのはいや、一割引なら動橋までで一〇八円だ)。でなかったら、五時何分の一番で行くかい(馬鹿、六時二十四分ので、ぎりぎり一杯の早さだ)。どうだい(どちらも駄目にきまっている)。
「では、金沢着の時間は早くなりませんか。」「それも同じだね。元への変更は出来ない。」「止むを得ません。では、金沢発九時二十六分、着二十時二十八分と言うわけですね。」「そうです。」「分りました。いろいろご迷惑をかけて済みません。」
さぁて困った。一応は HRA に報告して…。「こういうわけです。どうしましょう。」「そうか。何なら目的地を湯涌あたりに変更するか。」「構いません。が、みんなが同意してくれないでしょう。」「そうだ、雑費としておいた二円を使って、葉書で連絡したらよいだろう。」「ええ、ぼくも道々そう考えて来ました。」「さっそく葉書を買って来て…。」「はい。」「その間に先生が原稿を書いておこう。」
「こんちは!…葉書下さい、…三十三枚…、六十六円ですね、七十円で取って下さい、…はいありがとう。さいなら!」
HRA は急ぎの用があるからといって、ガリバンと鉄筆と原紙と生徒の住所録をおいて行かれる。何だ、この文は。この長い文に読点が二つしかない。さっそく葉書の大きさに合わせて、適当な文に直して書いて行く。しかし、結果的には大して変らなかった。[つづく]
Sam: 1951 年 9 月 27 日(木)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 28 日(金)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 29 日(土)晴れ[つづき]
「輸送課! 輸送課ですか。いまね、二水高校のね…、はいはい…そうですか、…そうですか、…分りました、…ええ、どうしてもですね、…よろしい、そう告げましょう。」まるで、お好み電話だ(注 1)。やっぱり駄目らしい。
団体でなければ、六時二十四分のに乗って貰っても差し支えないがね、割引は一割だ(とんでもない、そんなのはいや、一割引なら動橋までで一〇八円だ)。でなかったら、五時何分の一番で行くかい(馬鹿、六時二十四分ので、ぎりぎり一杯の早さだ)。どうだい(どちらも駄目にきまっている)。
「では、金沢着の時間は早くなりませんか。」「それも同じだね。元への変更は出来ない。」「止むを得ません。では、金沢発九時二十六分、着二十時二十八分と言うわけですね。」「そうです。」「分りました。いろいろご迷惑をかけて済みません。」
さぁて困った。一応は HRA に報告して…。「こういうわけです。どうしましょう。」「そうか。何なら目的地を湯涌あたりに変更するか。」「構いません。が、みんなが同意してくれないでしょう。」「そうだ、雑費としておいた二円を使って、葉書で連絡したらよいだろう。」「ええ、ぼくも道々そう考えて来ました。」「さっそく葉書を買って来て…。」「はい。」「その間に先生が原稿を書いておこう。」
「こんちは!…葉書下さい、…三十三枚…、六十六円ですね、七十円で取って下さい、…はいありがとう。さいなら!」
HRA は急ぎの用があるからといって、ガリバンと鉄筆と原紙と生徒の住所録をおいて行かれる。何だ、この文は。この長い文に読点が二つしかない。さっそく葉書の大きさに合わせて、適当な文に直して書いて行く。しかし、結果的には大して変らなかった。[つづく]
引用時の注
- 当時 NHK ラジオのバラエティー番組「とんち教室」で行なわれていたゲームの一つに「お好み電話問答」があった。出演者たちが電話での相手方の一連の返答を一度聞かされた上で、それに当てはまる話しかけを即興的に演じるゲームである。のちに『サザエさん』の磯野カツオ役を長年担当することになった声優・高橋和枝が返答者役を勤めた。ここでは、返答だけを聞いているので「お好み電話問答」の出題を聞かされている感じがした、ということを記しているのである。いま、この日記を読み返して、「問答」のついた番組名全体に思い到るのにしばらく時間がかかった(記憶が正しかったことは、ウェブサイト "FUKUSHI Plaza" の 1949 年のページ、ラジオ欄で確認出来た)。Sam は、番組名の通りに書けば、問いと答えの両方を聞いたようなことになると思い、「お好み電話」としたのだろう。
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