2013年4月28日日曜日

時間観念から脱却する刹那


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 29 日(水)曇りのち雨

 階下のラジオが二水高校の放送劇をしている。はっきりとは聞こえない。

 Sam、ありがとう。こんなに詳しく書いてあるのに、訂正も何もないものだ。ぼくのホームのを書いたのと比べると、ハワイ・レッドソックスと金沢 K・B ぐらいの差だ。Sam に持って来て貰った二冊のノートを読み返しても、Sam のすばらしさを感じる。

 Jack はぼくの集めた難題に、頑張ってうち向かっていた。少し加減しなければ可愛そうかな。

Ted: 1951 年 8 月 30 日(木)晴れ

 体操(保健体育というのが本当だろうが Iwayuru 先生はこれを好まない)の時間は草取りだった。皆は口で何かを表現しながら、重労働(というほどではない。むしろ発音の似ている自由労働か)をした。ぼくはどうしても例外で、(注 1)
爪の間に土を溜めながら、うつむいてせっせと仕事を続けた。バレーコートの黒い土を見つめ、何本もの生命を抜き取っているうちに、自分が時間の観念から脱却するという一刹那を感じた。こういう瞬間の自己を見出すことは以前からたびたびあった。春のあまりにもうららかな日の午後や、お盆の頃、梅雨のじめじめした空気が流れ去ったばかりの墓場で参っているときや、秋の夕方の、辺りが茶色っぽくなって長い影が地上に横たわる頃、夕餉の煙が飛ぶように行き過ぎるのを頬杖をついて眺めているときなどに起こるのである。一度起こったそれは、連続的にぼくを襲うのが常である。いままでの考えをぱたりと切断して眼を大きく見開くようにすると、自己の置かれている時間的位置がパッと変わるように思われる。(注 2)。しかし、それはもうろうとはしていない。いま何をしているのだろうか。いまはいつなのだろうか——と、分りきっていることを考えてみたくなる瞬間でもある(つづく)
引用時の注
  1. ここで 7 冊目のノートが終り、次行から上掲イメージの表紙の 9 冊目のノートに書いている。新しいノートの最初のページの欄外に、Sam による次の言葉がある。
     このノートは(と書くのが慣例のようになっているから)、Mangetsu 君が社長[と自称した新聞クラブ代表]だった当時、卓球大会を開催して余った賞品を貰ったものだ。
    なお、表紙に Anything と Something の文字があるのは、日記中で実際に使っていたわれわれのニックネームで、略して Any、Some と書いていた。これをブログ上では Ted と Sam に変えた。不等号は書く文の量あるいは何らかの謙遜を意味しており、それを含めてこのノートの題名として Sam が書いたものである。
     終了した白表紙無罫の 7 冊目のノート冒頭への Sam の注記は、文が分りづらく、登場する人物も誰のことだか分らなくて書き写さなかったが、廃棄に先立ちここに記す(文は、分りやすくするため少々書き換えておく)。
     このノートは小学校六年のとき、ある人から頂戴したものである。その人物は紫中三年のときには Ted のクラスにいた一人であり、驚くなかれ、いつもアセンブリーの時間にヤジを飛ばしていた彼である。
  2. この経験についての日記の記述を修正したものを、私は高校 2 年のときの創作「夏空に輝く星」の中で、「新感情蘇生の瞬間」と名づけて利用している。その修正版の方が、元の日記の表現より簡潔で分りやすいので、ここではそれで置き換えた。同様の感覚は、長年を経たいまでも起こる。「時間の観念から脱却するという一刹那」あるいは「新感情蘇生の瞬間」というより、「"いま" が改めて認識される瞬間」という方が適切かもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿