2013年4月16日火曜日

「灰色の時間」と晩夏の哀愁


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 21 日(火)晴れ、夕立あり

 考えている時間が一番多い。何もしていなくて、ただポカンとしている、Zu 先生の表現によれば(Sound が先日いってくれた)「灰色の時間」。それをなくしたいものだとは、いつもある時間を過ごす前に思うことだ。思いはしても、灰色の時間は、いまだになくならない。
 ぼくの場合、ただポカンとしているというより、何かを考えている。考えていることは、とんでもなく大きいこと。可能か不可能か分らないことと、有か無か分らないこと。——全てを挙げて没頭することの出来る目的、われわれの見ている何もかもが、こうではなかった場合のこと、超宇宙的な別の世界——というよりも、われわれがそこへ飛び込んだならば、あまりの相違に闇も同然だと思う現象の展開されるところ。そうかと思うと、今度はいかにも些細なこと——。

 Jack は彼の部屋の真ん中より少し奥に、がらくたに取り囲まれて立っていた。整理をしていたところだそうだ。昨日のことについて、Jack は初め、行かなかったという。あとで、新しいノートを見せてくれる。その中の記述によれば、学校へ行ったが、時間まで待っても彼女が来なかったので、家へ向う間に行き違ったそうだ。彼はこの頃、ビールの泡のような感じである。一度、しんみりと説得される必要がある。(注 1)

 Jack の家で傘を借りなければならなかった。涼しさが寂しい気持をもたらす。頭がむやみに澄んで行くような——。それはよいが、澄んだ水面には、輝く空気をふれさせ、これを含ませてやらなければならない。
 渋いものを口に入れた感じに陥らせるウマオイの羽の音楽。過去の寂しさと涙を思い出させ、十分には大きくならないでストローの先を離れて破裂するせっかちなシャボン玉のような気持を持ったときの(こんな表現を書いていたら、実際に悲しくなって来た)自己と宇宙とを比較させ、また、胸に水を浴びせるようなコオロギの音楽。分りやすい曲だ。感動させられる調べだ。
引用時の注
  1. 私は Jack の行動を批判しているが、自分もこの頃、頭の中がしばしば Jack の友人女生徒と同姓の女生徒で占められていたことを思えば奇妙である。

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