2013年4月23日火曜日

二学期の初日


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 27 日(金)

 それやこれやあれやが蘇生したように始まった。例年通り(だそうだ)すぐに授業がある。午後は大掃除。
 体育館が赤い屋根になって出来上がった以外に、目につくほどの変り方をしたものはない。
 YMG 先生の時間には、自分の夏休み中の一つのこと(休み中の生活全体を一つとしてもよい)を捉えての作文を書かされた。ある一つのことで、四十分弱の時間に立ち入って考え、さらに新しいことを模索出来るようなものは思いつかなかったので、休み全般にわたる反省を書いた。
 「奥の細道」の時間には、その日が何か特徴のある日である場合の例にならって、課外の講義が多かった。
 生物の ASK 先生は、われわれに向って「死」という言葉を使いかけて、休み中に目撃したり新聞で読んだりした不慮のあるいは不注意による災難を挙げて、弁解がましい話をされた。そのあとで、Fe を F と書く間違いもあり、先生にとって芳しくないスタートである。
 Jack が昨日実行出来なかった解析の試合の、ぼくへの問題を持って来ていたので、編集室に残って、それをやってみた。Jack に一日の勉強時間数を尋ねられた(きょうは帰宅後も数字と取り組んだ)。
 その先に、編集室で遅い昼食をした。われわれのホームが昼食抜きで中庭の掃除をしたからだ。鎌でイチジクの葉を切り落とす者がいたり、セミの穴を掘り返してナメクジを発掘する者がいたり、ため息をつきながら掃除の定義を下す者がいたり、かと思うと、風呂敷のような大きな手で落ち葉と草と土を掴みあげてモッコへ入れる者や、three idle sons(注 1) がしたように精を出して鍬を使う者がいて、恐ろしく非能率的ながらも、時間を何とか過ごす合間に、ゴミの位置を変える(だけのようだったが、捨てたと公認される)作業を成し遂げた。(つづく)
引用時の注
  1. "Three idle sons" の代りに "several idle and greedy sons" となっているが、同じ話をこちらで読むことが出来る(英文)。

0 件のコメント:

コメントを投稿