2013年4月22日月曜日

始業に備えて


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 26 日(日)曇り(つづき)

 母の勤務校の食飲会——というのが行なわれることもあるが、きょうのは職員会だった——は、なかなか大変だ。午前九時から、昼食抜きで午後四時過ぎまで。茶釜のあだ名のある S 校長は、毎日昼食をとらないそうだ。そのお相手とは大変(また書いてしまった。何しろ、十三行の中にこの単語を三つも書いた葉書を読まされたものだから(注 1))なことだ。帰宅した母に Dan の家を聞いて(二、三度行ったことがあるが、あの付近の三軒ほどの家々はよく似ているので覚え難い)、そこを訪ねることにした。行ってみたら、大きくてはっきりと分る表札があったので、何をちゅうちょしたのかと、ばからしくなった。きつね色の身体と黒い口をした子犬がいる。一昨日だったか母がそうといってくれるまで、何度も見かけながら誰かと思っていた彼の妹も顔を見せた。(注 2)
 宿題のことから切り出したが、そのあとは Dan の方からばかり話題を出した(そうさせていたぼくが悪い)。彼は大学のことや、来月四、五日にあるスタンダード・テストとはどんなのかさっぱり分らないということや、先生が明日は授業があるのかどうかをいってくれなかったから分らないということなどを話した。ぼくもそれらが分らなくて、彼が少しでも知っていたらと思って来たのだが。ここへ来るときも、校門から出て来られた YMG 先生に会い、先生が「お元気です(このあとへは疑問の終助詞がついたはずだが、聞き取れなかった)」といわれたかと思ったら、質問する間もなく、もうすれ違ってしまっていた。
 Dan はあんなによい身体をしていて、運動会が嫌いだといった。Vicky の通知表の平均点が 8.8 だといってくれたときには驚いた。合計点で 5 ほど負けていることになる。(注 3)
引用時の注
  1. 私は 1949 年以降の親しい友人たちからの便りを、いまもほとんど保存しているが、その中に該当する葉書は見当たらない。Jack が彼宛のものを読ませてくれたのだったか。
  2. 母がなぜ Dan の家やその家族のことをよく知っていたのか、その理由をいまは覚えていない。
  3. 私には体育実技という大苦手の科目があったので、彼女よりそれくらい劣っているのは驚くほどでもなかったのだが。

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