2013年4月6日土曜日

A 先生訪問計画は三球三振


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 13 日(月)晴れ(つづき)

 空振り、空振り、見逃し。見事な三振。Minnie のシラミ事件(といっても、本当にシラミがいたのじゃないぜ。Jack がきょう思い出させてくれたのだが、もとはといえば、やはり Jack から聞いたのだ)に劣らず恥ずかしいことだ。最後の見逃しは全く痛い。球は真ん中低めに入って来て、すぅーっと外角へ流れた。(野球をしたのかって? 違う違う。野球に例えているのだ。)
 初めからスコアを記そう。滑り出しから悪かった。母にわがままだといわれながらも、夕食を早飯にした。WK 君(大連時代の友人、東京在住)への手紙を書いていたのだったが、それも打線は続かず、二枚目の二行まで書いて、切れていた。サインも決まっていなくて、Sound とのスクイズは失敗。せっかくの盗塁(早飯)も、ここで走者を殺した。Sound は風呂へ行っていたのだ。
 次のインニング、A 先生の家の前で、われわれ、Sound とぼくのチームはウエイティング・システムをとった。そして、好球にバットを差し出したが空振り! 先生夫人の姿を見かけてようやく声をかけたところ、A 先生は Y 薬局の向かいの運送店で映画があるので手伝いに行っていると告げられたのである。
 次の球にもまた空振り。運送店で「A 先生いらっしゃいますか」と聞いたら、「学校へ行ったやろ」との答だった。
 第三球、よく引きつけてから打てば、きれいにミートできたものを、身体をのり出したので、あまりのスピードボールを見送らなければならないことになってしまった。運送店で「待っていたら」といわれたのに、われわれは石引小学校へ向ったのだ。「よしみや」の少し手前で、手拭を片手に急ぎ足で来られる A 先生に出会い、「やぁ、大きくなったなぁ」といわれ、われわれが「こんばんは」のほか何もいわないうちに先生は数メートル後方へ去られた。
 球はキャッチャーミットへストン、である。失敗のあとで見上げた月は、あのとき「あのう」とでもいえばよかったのに、いわなかったわれわれのように、ぼーっとおぼろだ。次回にきょうの言い訳をしなければならないという仕事が増えた。次の攻撃は明後日と決定。

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