高校(1 年生)時代の交換日記から
Ted: 1951 年 8 月 29 日(水)曇りのち雨(つづき)
アセンブリーは夏休みの反省をテーマにしたものだった。休暇中のアルバイトをした生徒六人と司会者が登壇しての座談会から始まった。(その前に、野球場でアイスキャンディーを売っているアルバイト学生と野球見物に来た友人との会話という、声だけのドラマがあったが、これは前奏のようなもので、中味ではなかった。)大和の模型店で働いた Massy がいる。新聞部の三年生 Elecky がいる。Vicky も登壇している。生徒たちの間での呼び名が中学一年で習った「潮目」という文に「クック、ダーウイン、チンダル」に続いて書かれていた学者の名のように聞こえる女生徒(「潮目」を習ったとき同じクラスだったので、つい長い説明を書いた)も出ている。
司会者は順々に短い質問をした。長身の Elecky がマイクに口を近づけるために腰をかがめ、そうしたために低く下がった両手を後ろへ回したり前へ下げたり、また後ろへやり前へ出し、後ろで帽子を持ち替え、前でまた反対の手に移したりして話した姿は、もしそのとき講堂に「苦虫」がいても笑わないではいられなかっただろう。
Massy はマイクを横へ向けて、腰のベルトへ手をやり、そこで指をズボンの最上部にあててつまみ上げる格好をしたり、またその指を、早口でマイクへぶつける一音節に一回ほども忙しく動かし続けたりした。一日に七十円だったので、百円の方へ移りたいと思ったが…と話した以外は、何も理解出来ない話し方だった。
Vicky は全日本学生バレーボール大会の入場券売りをしたそうだ。一日百五十円は結構な収入だ。職業上のいろいろな階級はただ仕事の上の便宜上のもので、個人的に平等であることには変わりはないと学校で習っているが、実際には、まだそのような民主主義の精神が徹底していないということを学ばされたと述べた。
次に、「はや夏休みは過ぎ去った…『がんばれ』とかすかにわれを呼ぶ声がする…」という意味の替え歌にした "Old Black Joe" の、女生徒による独唱があった(舞台裏から、声のみ)。歌声にふくらみと響きと伸びがあり過ぎて、せっかくの替え歌の妙味が分かりにくかった。
終わりに、大学進学への努力を続けている三年生が十人ばかり登壇して、休み中どのように勉強したかを語った。誰もかれも「予定の三分の一ほど」、「予定の半分以下」である。ぼくが中学時代に二年間ほど間借りしていた家の U 君(キャッチボールをしたことが一回、正月に遊んだことが二回、映画に連れて行って貰ったことが一回——『シベリア物語』だった——、野球雑誌『ホームラン』を見せて貰ったことが数回、夏休みの宿題の理科について教えて貰ったことが一回…、接触は少なかったようだが、数え上げると結構ある)は東大を受験するそうで、理知的な話し方をする人だが、きょうは Peanut 先生の真似のように「まぁ」を連発していた。(つづく)
Ted: 1951 年 8 月 29 日(水)曇りのち雨(つづき)
アセンブリーは夏休みの反省をテーマにしたものだった。休暇中のアルバイトをした生徒六人と司会者が登壇しての座談会から始まった。(その前に、野球場でアイスキャンディーを売っているアルバイト学生と野球見物に来た友人との会話という、声だけのドラマがあったが、これは前奏のようなもので、中味ではなかった。)大和の模型店で働いた Massy がいる。新聞部の三年生 Elecky がいる。Vicky も登壇している。生徒たちの間での呼び名が中学一年で習った「潮目」という文に「クック、ダーウイン、チンダル」に続いて書かれていた学者の名のように聞こえる女生徒(「潮目」を習ったとき同じクラスだったので、つい長い説明を書いた)も出ている。
司会者は順々に短い質問をした。長身の Elecky がマイクに口を近づけるために腰をかがめ、そうしたために低く下がった両手を後ろへ回したり前へ下げたり、また後ろへやり前へ出し、後ろで帽子を持ち替え、前でまた反対の手に移したりして話した姿は、もしそのとき講堂に「苦虫」がいても笑わないではいられなかっただろう。
Massy はマイクを横へ向けて、腰のベルトへ手をやり、そこで指をズボンの最上部にあててつまみ上げる格好をしたり、またその指を、早口でマイクへぶつける一音節に一回ほども忙しく動かし続けたりした。一日に七十円だったので、百円の方へ移りたいと思ったが…と話した以外は、何も理解出来ない話し方だった。
Vicky は全日本学生バレーボール大会の入場券売りをしたそうだ。一日百五十円は結構な収入だ。職業上のいろいろな階級はただ仕事の上の便宜上のもので、個人的に平等であることには変わりはないと学校で習っているが、実際には、まだそのような民主主義の精神が徹底していないということを学ばされたと述べた。
次に、「はや夏休みは過ぎ去った…『がんばれ』とかすかにわれを呼ぶ声がする…」という意味の替え歌にした "Old Black Joe" の、女生徒による独唱があった(舞台裏から、声のみ)。歌声にふくらみと響きと伸びがあり過ぎて、せっかくの替え歌の妙味が分かりにくかった。
終わりに、大学進学への努力を続けている三年生が十人ばかり登壇して、休み中どのように勉強したかを語った。誰もかれも「予定の三分の一ほど」、「予定の半分以下」である。ぼくが中学時代に二年間ほど間借りしていた家の U 君(キャッチボールをしたことが一回、正月に遊んだことが二回、映画に連れて行って貰ったことが一回——『シベリア物語』だった——、野球雑誌『ホームラン』を見せて貰ったことが数回、夏休みの宿題の理科について教えて貰ったことが一回…、接触は少なかったようだが、数え上げると結構ある)は東大を受験するそうで、理知的な話し方をする人だが、きょうは Peanut 先生の真似のように「まぁ」を連発していた。(つづく)
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