2013年4月29日月曜日

テニスコートを越せば


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 29 日(水)曇りのち雨(つづき)

 放課後、新聞部のソフトボールとバットで、Jack、Tacker、それに YMG 先生の弟(と書いたことで思い出した。アセンブリーの座談会のとき、TKS-兄君が分厚いひと重ねの紙とよく削った長い鉛筆ひと束を持って、壇の下に席を占めていた。聞くことさえ困難だった座談を記録することはどんなに難しかっただろうか)の YMG 君(すらりとして眼鏡をかけていて、文化的で勤勉な顔つき)と一緒に遊んだ。場所は編集室横のテニスコートで、編集室側からの打球が相対する教室の壁まで飛ぶとホームランという約束である(Jack が一本記録しただけだった)。その教室の二階から見ていた Bettor(実際のあだ名は Betty から来ているようだが、それは女性名なので、このように変えておく)や、一階で速記の練習をしていた Neg にも打たせる。
 それから大和へ行ったのだ。Sam を気の毒がらせて気の毒だった。歩いて帰ることにした。香林坊で Kim 君(彼こそ純金だから、Gold のニックネームが相応しいが)に出会ったときには、思わず紫中で Jubei さんがぼくに会うたびにしたような丁寧な挨拶をした。彼も「潮目」を習ったとき同級だったが、翌年から野田中へ行き、いまは仕事についているらしい。
 さらに、ずーっと来ると(「絶対的圧力型」先生の文法の進め方には「ずーっと見て行きますと」がよく出て来たね)、近所に住む Brown に出会い、また同じような挨拶をした。彼とはあまり話をしないが、きょうばかりは、彼がぼくに用事があり、自転車を止めた。彼も HR 研究委員だが、HR 研究資料の見本の紙をなくして、ぼくのところへ借りに行ったが不在で、Twelve のところへ行こうとしていたところだったのだ。

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