2013年4月21日日曜日

歌でも飛び出せばよいが


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 25 日(土)晴れ

 四時から五時半までの予定で Jack の家へ(Sam がこの間にぼくのところへ来たら、よっぽど不運だということにして)。ニュースはほとんどない。昨日一回目に別れるとき、もし Jack の家へ行くことがあったら誘ってくれといっていた Lotus がひょっこり来たのは意外。誘わなかったが、結果的に誘わなくてもよかった。彼は、蔵で寝ている間に誰か来たということだったので、それが Jack かと思い、謝りに来たのだった。彼の Jack とのちょっとした会話が、ぼくとの溝を掘り返しているように思えた。それから彼は、タイガースが 10A–9(注 1)でカープを破ったことを、タイガース・ファン特有で共有の、快活で自信ありげな、誇らしげな調子に自らを作り上げながら語った。こんな日の彼は、考えさせられなくてよい。考えさせられるのも悪くはないが、毎回そうであっては、——などというと、彼が光線によって色の変るレインコートのようであることを望んでいるようだ——。ともかく、タイガースはよい色だ。彼は、風呂へ行かなければならないからと、ぼくの一歩先に帰って行った。
 アチャコと美空ひばりが父子を演じた映画がぼくにさせてくれた復活は、ただイノシシのように猛進することだけを教えてくれたようだ。当分はこれだけでもよい。
 明朗さや活発さ、それは心が曲折していると、表面に出なくなるものらしい。歌でも飛び出せばよいのだが、それはとうてい無理だ。これこそ「うらやましい」。(注 2)
引用時の注
  1. 現在 10X–9 のように書くところを、当時は 10A–9 のように書き、A を「アルファ」と読んだ。アメリカ人がスコアブックに X と書き込んだのを、そばで見ていた日本人がギリシャ文字の α と見誤ったことが始まりとか。他の説もあるそうだが、知らない。戦後もかなり経ってから、アメリカが X ならばと、日本でも X と書くようになった。
  2. 私は長年、自分は歌は下手だと思い込んで、ほとんど歌わない人間で通して来た。これが改まったのは近年のことである。

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