2013年4月12日金曜日

真夏の放浪

高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 17 日(金)晴れ

 午前中からもう、夜汽車の中のように、身の置き場に苦しむ。英語。他のものはする気にならない。Octo。最大限の軽装。ためておいた話。十一時の時報。時間が足りないとも思えない。その足で Twelve。下のような図を小母さんが書いて下さる。Twelve はその図の左下の、親戚か何かの家で毎日留守番と。
(注 1)


 地図が丁寧だったから、すぐに分る。いた。宿題の進度 0 と(本当かな?)。日米対抗陸上は五日だけ、中耳炎、など。十二時数分前に辞する。出さないように努めた汗もどっとふき出る。黒い塀が多い問題の通りも、白と緑が空気を染めている。
 弁当
(注 2)のあと、のろのろ歩きで Jack の家へ。県立図書館。三十一日まで休館。予定破壊。SCAP 図書館(ただし、『二匹の仔熊』)。油車—里見町—油車。Jack の目の代用。発見。ぼくはどんな感情をも経験しない。Jack はどうだか。午前中たどった地図の道を逆に。庭から Twelve。四つの部屋は彼の支配下。テーブルの下に解析の教科書。部屋を歩き回るわれわれ。会話。Jack 不明瞭。Twelve つっけんどん。肋骨。涼しい提灯。腹這い。井戸水。
 切り上げて、もう一度油車。女子師範付属前。Jack のいう「ありがた迷惑」。出会った Dharma 先生から説教。Waka や Oni や Hamasuke が通って行く。その間、われわれは束縛される。先生は足を地上十数センチのところでぐるぐる動かして蹴る格好をしたり、手を拳にして胴体の前後左右に振り回す
(注 3)。「身体を。そして、しっかりやりなさいよ。正座法が一番だよぅ。」その声はこのノートのページのようにガサガサしている。
引用時の注
  1. 図の左下、Twelve が行っていた家の付近は、ここではプライバシー保護のため消してある。
  2. 母が墓参に田舎へ行っていたため、近くに住む Y 伯母が私に弁当を作ってくれたようだ。それをいったん家へ帰って食べたのだろう。
  3. 中学で体育を教わった Dharma 先生は、柔道をたしなんでおられた。

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