2013年4月20日土曜日

シャツは裏返しでなかった


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 8 月 24 日(金)晴れ

 Lotus に第二スメル館へ連れて行って貰うことになっていたので、午前中はどうでもして終わってしまえばよかった。といっても、したいことと、しなければならないことは沢山あった。Lotus の家へ行くと、Jack はまだ来ていなかった。岩波書店発行の『少年美術館』の 6、7 を見せて貰う。
 第二スメル館では、『エノケンの底抜け大放送』と『東京キッド』。全くの娯楽もの。しかし、Jack は「感激し」、ぼくは頭が痛くなるまで考えなければならなかった(注 1)。歌と人生、いやこんなことじゃなかった。何だったかな?
 Lotus の話、——父君が東京から帰っていて、Lotus の将来の進路として医者か科学者を勧めている。自分はそれに反対で、芸術家になり、理性で想像し得る最善の境域を求めたい。現状に満足していては、進歩と発展はない。『チボー家の人々』は難解。——Jack と別れて二人きりになってから、——「君は心に反した行動をしていない? ぼくはしているんだ。だから、君とぼくの間に溝があるんだ。Okabe、彼は分っているがいわない。君と一緒だ。ぼくも一緒だ。」(何のことだろう。全然分らなくはないような気もするが。)それから、英語のことを少し。

 夕食の最後から二切れ目のトマトを口に入れたとき、Lotus が来た。解析の予習の質問。シャツを裏返しに着て来たといい、顔を出した母に「失礼します」と断り、直しにかかる。何のことはない。それを直せば、今度こそボタンを肌の方へむけて留めなければならないことになる。何を勘違いしたのだろう。
 ちょうど Lotus の勘違いのように、いまのぼくは、このままではどこか直さなければならないような気がするのだが、ガラリと裏返しにする必要はないのだ。ただ、そう思う心をなくすればよいのだ。あくまでも、心の持ち方の問題だ。どうやら暑苦しいホールで見た、ところどころ短く抜けていて、「歌もたーのーしーや、ッド」と飛んだりする映画は、ぼくがここら辺で一度しなければならなかった復活を助けてくれたようだ。
 Lotus のいった「溝」の問題もあるが、——さっき質問に来たような Lotus ならば、心配はいらない。それにしても、Lotus はよく映画を見ると同時に、よく考える人物だ。そしてまた、考えさせる人物だ。
引用時の注
  1. その後の映画鑑賞の経験と照らし合わせてみると、これは、考えごとで頭が痛くなったというより、当時の映画館の換気がよくなかったせいか、二本立てを見ると大抵頭が痛くなったという一例であろう。

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