2013年2月28日木曜日

土井垣捕手のショウマンシップ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 日 20 日(金)曇り一時雨(つづき)

 実況放送が観覧席に聞こえるのが面白い。ラジオを持参して聞きながら見ている人たちがいるのだ。田中投手がタイムを要求してスパイクの先を何かしていると、「タイムを要求しまして、ちょっとスパイクの先を…」といっているのが聞こえる。バックネットをオーバーするファウルフライのとき、われわれの多くは球の行方ばかりに気をとられていたが、放送を聞いていた登山帽氏はいった。「なるほど、『キャッチャー、マスクをはずして追わんとし』たわい。」球がとっくに右翼スタンド外へそれ出てしまい、ボールボーイが場外へ駆け出している頃に、放送は「ライト線ずーっと右に切れました。ファウル」と、うまいこといっている。

 雨が激しくなったとき、試合の一時中断が宣告された。われわれは一斉に立ち上がって、雨の防げるところへ下りて行きかけた。すると、急に雨音が小さくなって、試合再開となり、われわれは席へ戻る。しかし、席はびしょぬれで、腰を下ろせない。立って見ているうちに、グレイのユニフォームの大映は、塁上を駆け回って得点を重ね、10 対 3 で勝ってしまった。ぼくは、知らない人の傘に入れて貰っていたので、右腕が濡れるだけで済んだ。

 間もなく、毎日オリオンズが入場する。別当選手を探し出した頃、雨は全く止んだ。土井垣選手も写真で知っている通りだ。この試合(変則ダブルヘッダー第二試合)でも、彼は大いに元気だった。ファウルフライをスタンド際まで追って、シングルハンド・キャッチ、拍手、と思ったら落球。球審は手を震わせるようにしてから、横へ広げた。土井垣は太い目と大きな口をふくぶくしい顔の中で派手に動かし、ミットをたたき、身をそり返しながら、高くて大きな声で抗議した。右手に持ち替えて投げようとしたとき落としたのだから、捕球したことになる、と。しかし、受け入れられなかった。

 投手は投球を再開した。球審が「ストライーク」といったときには、土井垣はポンと立ち上がって、打者の顔を見、打者の後ろへ歩んで笑みを浮かべながら返球する。「ボール!」ではミットを長く捕球位置に止めて笑っていたり、立ち上がり、顔をしかめて、球審の顔を食い入るように見つめたりする。次の「ボール!」で、彼は後ろ向きになって立ち上がった。怒るように何かいった。もう一度いった。ベンチの方へ駈けて来た。叫んでいる。大変だぞーと思ったら、水を飲んで戻って行った。打球が飛ぶと、一塁カバーに駈けて行き、戻るついでに相手チームのベンチ前で、顔の前に飛んでいる何かを口で捕まえようとするかのように頭を動かしながら、何か叫んでから走って来る。その姿は可愛らしくさえある。

 「大根バッタァー! ミス神戸、死んだぞー!」とスタンドからやじられた別当選手は、憤然として三塁打を左翼線にたたきつけた。ここで、2 対 3 から 4 対 3 と、毎日が逆転し、その後は毎日が得点を重ねるばかりだった。二つの盗塁失敗や凡失を続けた近鉄はみじめだった。試合が終わる頃には濡れたシャツも乾き、腕は海水浴に行ったように真っ赤になった。

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