2013年2月27日水曜日

電話という文明の利器


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 7 月 20 日(金)曇り一時雨(つづき)

 金太先生のおかげで金ちゃん(金へん景気みたい)に自慢できた。「逆上がり」、「足掛け上がり」、金ちゃんに対して絶対にひけをとらなかった。それから Funny のところへ行った。彼はちょうど、友だち四人と挙行した宝立山登山キャンプから帰ったところだった。彼の家で電話を借りる。Ted は電話という文明の利器に対して自信があるかい。ぼくは大苦手だ。受話器を耳にあてると、脚がふるえそうだった。いや、ふるえていたかもしれない。何しろ、こんなものに接するチャンスは一年に一度あるかどうか分らない状態だから、心細い。
 3、5、1、6、3、…(間)…「ハイ! モシモシ。」「モシモシ、SWD さんですか。I・T 君呼んで貰えませんか?」これは Funny の声。……(長い間)……(金ちゃんが代って受話器を持つ)…(間)…(やがて下駄の音がして)「やぁ! 何や!」「いっちゃんか? オス!」「明日、海行くがやろ!」「おん。」「それでな、時間ヘンソウ。」(「金ちゃん、違うがいや、ヘンコウ」とぼくがいう。金ちゃん、しらん顔で)「ほんでな、十時ちゅうとったやろ。」「うん。」「それがな、二時にしんか。」(そこで、金ちゃんはぼくに受話器を渡す。ちとまごつく。横から Funny が「いっちゃん、あっさりしとるさかい、はよういわんと、切ってしもうぞ。」(やはり上がり気味に)「いっちゃん。」(すると向こうから)「さっきまでの声、金ちゃんやろ。」(そう、といおうとしたら、金ちゃんが)「ちごぅ、ちごぅ。」「ほんなこというても分る。」(そこで、ぼくが続ける)「あしたまであわんことにしとったさかい」(少し早口だった。)「何やてェー。」「あのなあァー、あしたまでェー、いっちゃんとあわん約束やったさかいー、電話でガマンせいや。」「うん、分った。」「それでな、いおうと思うとったこと、おおかた金ちゃんしゃべってしまったけど、あしたなぁー、金ちゃんも連れて行こう思うがやちゃ。」「しゃあーない。連れて行こう。」(金ちゃん「何やてェ、連れて行く?!」とふんがい。)「それでなあー、時間、二時にならんかい。」「昼からか?」「あったり前やわいや。」「うん。ガマンする。」「ほんだけや。」「まだ切るが、もったいないな。」「何かおもっしいことないかい。」「うん、いまなあ、わし、[アイス]キャンデー持っとるがやちゃ。ほーやさかい、あんまり長いことしゃべると、溶けちもうがや。」「ワハハ…(思わずふき出し、声が高いと、ギクリ)ほんなら、溶けんうちに食んまっし。」「あした二時やな。場所、前の通り。ほんでいいな。」「いいぞ。」「さいなら。」「さいなら。」ガチャン! 済んだ! かくして用件は見事伝達された。テクシーよりも自転車よりも葉書よりも便利だ。Ted との連絡にも利用できるとよい。きっと、お互いの勉強になる。

 あのことは、きっと今夜の僕を悩ますだろう
*。「あのこと!」それは Ted にいってはならない。Ted の最も軽蔑しているもののひとつだから…………。
 何でもよい。結果においては益するところ無である。
Ted による欄外注記
 * 可愛そうだが、具体的に書かなくては、どうも出来ないじゃないか。いくら悩み好きの(そうではないのだった)ぼくでも、いま、悩みは一つも持っていない。さし当って軽蔑しているものもないがね。

後日の追記
 この記事の Facebook へのリンクに対して、M・M さんから次のコメントをいただいた。
 「何だか漫才みたいな電話での会話。それをそのまま文章に起こしてるのを読むととっても面白いです。固定電話どころか電話を何処にでも携帯できる時代が来るなんて、夢にも思わなかった頃ですね。」
 これに対して、私は次の返事を書いた。
 「私は固定電話のある家も滅多になかったその時代に、携帯電話のようなものを夢想していました。ただしそれは、キーで番号を押すデジタル操作で接続するものでなく、携帯ラジオのダイヤルのようなものの精度をよくしてアナログ接続するものでしたが。私のその頃からのもう一つの夢想は、列車の代りに、個人用または家族用の小さな車両を駅で随時借り出すことが出来て、レール上を自動運転で目的地までスムーズに運んでくれるという乗り物システムです。どこかの国で実験用のものはもう出現しているとか。」

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