2013年2月23日土曜日

映画 Destination Moon


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 16 日(月)雨のち止む

 一年中で最も多くの計画を立てられる四十一日間も、その計画をどう配分して押し進めるのがよいかが難しい問題だ。午前中はほとんど能率を上げられなかった。原子ロケットの原理を説明するディズニイの漫画映画がその中に出て来る映画を見に行くために、早い昼食をしなければならなかったせいもあるが。

 Destination Moon
(注 1)はトリックがいかに用いられるかの勉強をさせてくれるものだった。「夢想の実現」という夢想が実現するのも遠くないことだろうが、それでもまだまだだろう(注 2)。このような宇宙に挑む話は、小説や漫画で、これよりも複雑な筋のものを読んだから、たいして感動しなかった。この映画では、四人の科学者しか働いていないし、彼らが活動する背景も、ロケットの出発地、ロケットの中、瞬きもしない無数の星の見える宇宙の一部、月面のごく一部ぐらいでしかなく、全体が、何かごつんと突き当たるような狭さを感じさせた。新しいことの敢行と大きな力への対抗とに必要な太い心胆、どんなときにも心を和らげ勇気までも与えてくれるユーモアの力、自己を犠牲にしようとすることの荘重さ、などが表されていた点ではよかった。

 Sam ならばどうするかね。二十日に兼六園球場で毎日対近鉄と大映対近鉄の試合があるだろう。阪急の試合だったら文句はないのだが。せっかく連れて行ってやるといわれても、熱の入らない試合では…。バックネット裏か、内野席か、外野席か知らないけれども、連れて行ってくれるという人は母の学校の事務官で、相当の年配の人である。この小父さんはからは、いまはいているズボンも、三日前まではいていたズボンも貰っているし、大阪へ行って来られたときには、名物粟おこしも貰うなど、とても親切にして貰っている。四角くて、大きくて、褐色で、しわのある顔は、一事に熟練したような力強さもあるが、(大きな声では、いや、大きな字では書けないが)野球通ではないし、風采は堂々としているとはいえないし、…。どうも困ったものだ。
 しかし、見に行こうと思うよ。好意に抗しては悪いだろう。
引用時の注
  1. 1950年、アーヴィング・ピシェル監督製作のアメリカ映画。原作はロバート・A・ハインラインの『宇宙船ガリレオ号』。1951 年アカデミー視覚効果賞、1951 年ベルリン映画祭冒険部門銅熊賞受賞。邦題『月世界征服』
  2. アメリカ合衆国のアポロ 11 号が歴史上初めて人類を月面に到達させたのは、1969年で、この日記のときから 18 年後だった。打ち上げ日は奇しくもこの日記の日付と同じ 7 月 16 日。月面着陸は 7 月 20 日。

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