2013年2月3日日曜日

出会いの多かった日


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 6 日(金)曇りのち晴れ(つづき)

 雲の流されてしまった背後の空から伸びている日光に押されるようにして、一度家へ帰り、今度は日光をかき分けるようにして Sam の家へ向う。大学前・紫中間で、三十分ほど前に丁寧な「さようなら」をいって貰った Lotus にまた出会った。白ずくめの服装(帽子だけは黒だが)で自転車に乗っていて、肩をちょっとすぼめて、車を止めた。Sam の名をいわないで住所で質問に応じたら、「勉強か」といって
(注 1)、去って行った。
 Sam の家庭教師仕事も大変だね。君の生徒に少しの時間だけ待たせて、済まなかった。
 映画館の群落入り口の少し手前で、庭球から帰る Funny に会う。「Sam」と答えると、「健在やったか」と再質問された。福音館の前で、警察所長の令息 T・YS 君と二度目の行き会いをした。彼とは七尾で(不思議だろう)親友の域に達して、互いの家へ遊びに行き来したものだが、紫中で再会してみると、彼も会話不活発者になったようで、親友関係の復帰はなかった
(注 2)。きょう会っても、互いに笑顔を作るばかりである。

 出会いの多かった日も暮れた。定時制の生徒たちが話し声と足音を道に満たして帰って行く時刻も過ぎた。近くの寺の境内か広場から、♪月が出た出た…♪ の歌が聞こえていたが、それが終わると、マイクが「今度は金沢音頭」とかいった。手や脚を振って踊り回っている男女の姿が目に浮かぶような音楽が続いている…。
引用時の注
  1. 期末試験の終わった翌日だが、Sam と私を合わせると、「勉強」を連想させたらしい。
  2. 中学校の一学年は 8 クラスもあって、彼とはクラスが一緒にならなかったということも、親友関係が復活しなかった理由である。

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