2013年2月20日水曜日

加藤和枝のレコード


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 14 日(土)晴れのち小雨(つづき)

 Octo の家へ行こうとして出かけると、父兄会に行かれる Lotus の小母さんに会った。「いらっしゃるんですか」といわれた。主語が省略されていて、要領を得ない。Jack も時々こんな話し方をするが、彼の方が要領を得やすい。母は家にいないし、父兄会にも行かないから、「いいや」と答えた。答えとしては正しかったが、考え方は合っていなかった。
小母さん「皆さんおいでるんだといって、待ってましたよ。」
ぼく「へぇ、そうですか。」
小母さん「KJ さんも来ていらっしゃったし。」
ぼく「じゃ、行きましょう。」(待っている人には招待されなかったから、誰が行くものか。)
 夜になると「深山の月」というネオンサインの輝く高砂屋の角を曲がると、Kies がショロショロとした歩き方で来るのに会った。招待された一員だなと思ったが、念を入れて聞くと、やはりそうだった。

 Octo は留守番をしていた。例の通り、沈黙と傑作な(この形容動詞の語幹は、二つのことを思い出させて、いけない)話とを交互に繰り返した。
 Octo の家の前の鉄筋コンクリートのアパートは、かなり出来上がって来た。見下ろしたり見上げたりすると、クリーム色のところと灰色のところとがある。最後にどちらの色になるか分らない。クリーム色は明るくて、夏の空の下にずしりと構えているのにふさわしい。灰色は、大連の桃源ビルを思い出させる。そこの三階ぐらいの窓から、当地の表現では「松原病院行き」の若い女性が身を乗り出して、歌を歌ったり、フランス語か英語か分らない言葉をぺらぺらしゃべったりしているのを見に行き、ぼく自身までもが誇大妄想狂になったかのように感じた、ある日曜日を経験したのだ。
 三十円で鑑賞できる映画は、Sam が持っていた券がなくても、生徒要覧を見せれば三十円になると掲示板に書かれていたのを Octo が見て来て、行きたいと思っているといった。それで、明後日一緒に行く約束をした。雨が近づいている気配だったので、Lotus の家にいる Jack も誘ってみるといって、Octo の家を出た。

 Lotus の家へ行くと、屋根の上で何かをして遊んでいた Lotus、Jack それに Kies が、誰が来たかとという面持ちで下りて来た。Jack と話をつけてから、「まぁ上がれや」に応じた。トランプで Napoleon、School などをし、レコードを聞き、Kies とぼくは五目並べをし、Lotus と Jack は屋根に寝転がった。…雨が降り始めた。「大本営発表」と Jack がいった。「大根や菜っ葉。おばさん! 洗濯物入れて!」と Lotus。(坊ちゃんだなぁ。)
(注 1)
 Kies は、加藤和枝
(注 2)のレコードを、速くあるいは遅く鳴らして悦に入った。Lotus は Jack に、紫中での座席が Jack の左斜め前だった人物のところへ遊びに行くかなどといった。(どうかしている。)
 小母さんが帰って来られ、Lotus は飛んで行く。戻って来た彼は、Jack に固い約束をさせて、母親が学校から貰って来たものを彼にだけ見せた。

 OKB 君から Lotus のところへ来ていた最新の手紙には、試験のことばかり書いてあった。解析で九十点取れればよいほうだと読めたから、勇ましい!と思い、よく見たら、九と思ったのは五だった。書かれている文は、Sam やぼくが Jubei-san 宛に書いた葉書
(注 3)の表だけの分量しかない。これで八円だから、切手がもったいない。夏休みになるのだから、ぼくも大連時代の友などに、二円なり八円なり使うことにしよう。(注 4)

 訴えるような目つきの Vicky と顔を合わせない四十一日間の計画を立てようと思うが、こまごまと全日程を書くことは出来そうにない。Jack は国語は何時間、解析は何時間などと決めて、サボった時間数が多いと、自ら未終了の判定を下すそうだ。
引用時の注
  1. 「おばさん」と Lotus が呼んだのは彼の家に来ているお手伝いさんだった。それで私は、「彼は坊ちゃんだなぁ」と思ったようだ。
  2. 美空ひばりの本名。
  3. 7 月 13 日の日記の冒頭に、便りを書いた記述がある。それは、この Jubei-san(KWH 君)宛の葉書についてのものだったらしい(もったいぶった書き方だったので、掲載時には、ひょっとして女生徒宛だったかと思った)。Jubei-san は Sam やぼくと同じく紫中を卒業したが、われわれのどちらとも異なる I 高校へ行っていた。
  4. 当時の郵便代は、葉書が 2 円、封書が 8 円だった。

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