高校(1 年生)時代の交換日記から
Ted: 1951 年 7 月 12 日(木)晴れのち雨
アセンブリーは、そして、「私は誰でしょう」は飽きることがない。司会者の読み上げる一語一語が、会場のわれわれに何かを叫ばせた。
各クラブから出すことになっていた解答者は、ぼくの知らない間に、各ホームから出すことに変更になった。きょうのショートホーム時の校内放送で知らされたそうだが、われわれのホームにはその放送が全然入らなかった。昼食後、Jack たちとぶらついていると、十五ホーム(ほかにも数ホームあった)のホーム委員は、いま直ぐ生徒会室へ、とスピーカーが叫んでいる。Jack がこれこれだろうというので、立腹しながら生徒会室へ行った。狭い生徒会室はごった返している。万年筆と紙を持って、何かを調べるような顔つきをしている上級生に、「何ですか」といった。用件は Jack の話で分っていたのだが、われわれのホームはあくまで聞いていないのだから、こういってみたのだ。「アセンブリーの」とか答えて、相手は一人でうなずく。「アセンブリーの何ですか」とたたみかけては気の毒だから、少し離れて様子を見ていた。十六ホームのホーム委員の MR 君がノートの切れ端に書いたものを提出して行った。なるほど。もう一度さっきの上級生を捕まえて、「十五ホームですが、決められません!」といった。相手は持っていた紙の十五と書いてある上にレ印をつけた。ぼくが出ることにしておいてもよかったが、「賞品をもらう役だから自ら出たのだろう」と思われてはいけないので、そうはしなかったのだ。
「私は誰でしょう」の司会者は長身の二年生で、新聞クラブ所属、先回のアセンブリーの「われらの学園」の司会もした人物である。開始の音楽や拍手、そして「私は誰でしょう!」の声まで NHK のと同じだ。録音盤を借りて来て使ったらしい(注 1)。司会者は、鐘をならす役からの連絡を受けるイヤホーンをつけて、最初の解答者に相対した。後ろには赤、緑、ダイダイ、紫などのテープが揺れている。
一人目の解答者は MTOK 君とかだ。「私はスイスで生まれて、のち、フランスへ行きました」を第一ヒントとする問題の第二ヒントのとき、会場の一番前にわれわれと一緒にいた Octo が、「ルソー。ジャン・ジャック・ルソーや。わしの調べたがと一緒や。世界史の本にあった。山上先生、笑うとる」などとつぶやく。そうだ。社会科で習ったばかりだ。解答者は答えられず、司会者は会場のわれわれに解答を求めた。われわれは一斉に手を挙げた。司会者はちょっと講堂の奥を見たが、そちらには余り手が挙がっていなかったと見えて、目を Jack とぼくの上に注ぎ、Jack を指名した。ぼくが彼の耳に答えをささやいたとき、「理想?」と聞き返した彼は、うまく賞品をせしめた。
歴史上の人物として、第一ヒントに小倉百人一首の歌が出たのがあった(百人一首を得意としないぼくは、その歌を忘れた)(注 2)。Octo は今度も、「坊主や。蟬丸の次に偉いがや。誰やとな。むかつく…」とつぶやきながら、「記憶の再生」手続きを踏んで、「西行や!」にたどりついた。第三ヒントあたりの、本名・佐藤義清が出たところで、ぼくの記憶も再生された。
Dan が解答者として登壇したときは、われわれの方に落ち着いた笑顔を見せ、時の人を選んだ(ぼくも解答者になったら、そうしただろう。ただし、選択のことだ)。第一ヒントに、何年にどこの学校を出て、共産党に入ったということが出た。Dan が Jack に渡して行った『現代用語…』という本を、ぼくが取り上げると、ちょうどそのヒントと同じ記述のあるページが出た。われわれは、「金」の字を宙に書いて見せた。しかし、Dan は次のヒントを聞いて自力で理解し、力強く答えた。「キム・イルソン!」(あとで聞いたら、われわれがせっかく彼に送った信号には気づかなかったということだった。)
Massy も時の人を選び、第五ヒントに達しないうちにシャウプ博士を当てた。アセンブリーの始まる前に、Jack に『現代用語…』を使ってぼくに出題をさせてみたら、シャウプ博士のところを読み上げたので、ぼくは、たまたま、何年にコロンビア大学卒業という第一ヒントで分ってしまったが。古橋選手やモロトフ・ソ連副首相が出たあと、OK 君が「私の名前は漬け物に関係があります」というヒントの歴史上の人物を当てた。
Lincoln 先生のホームの OD 君には、「ケンタッキー州で生まれた」Lincoln が出題され、彼は第一ヒントで答えた(この出題は偶然だろうか)。会場全員に対するノンセクションで、スコットランド生まれの、宣教師になろうとした人物が出た。Sam はこれだけで分るかい? ぼくが振り返って見ると、誰も手を挙げていない。もう一秒、正しいかどうか考えても大丈夫と思ったのがいけなかった。ぼくと同じく最前列にいた十五ホームの Peace(TM 君)が手を挙げた。司会、「そうですッ。」しまった! 最後に解答者全員が登壇して、ワンヒント・ゲームが行なわれた。これは、ぼくの全く知らない映画人だった。
初めの方に出場した解答者のかわいそうな話を書かなければならない。彼は風紀委員長で、経済研究クラブ所属(クラブ長かもしれない)である。首がいささか曲がっている。Jack の説明によると、能登の方へ転校した OKB 君の親友だったそうで、頭がよい。ときには不気味な目つきをするが、優しい心の持ち主である。選んだのは架空の人物で、第一ヒントが長く、司会者が読み終えないうちに第一ヒントの解答時間終了の鐘がなった。司会者は鐘の担当者に時間延長を命じた。「"お客様、何を差し上げましょうか。" "何か食べるものを下さい。それから、泊めてくれませんか。" "お安いご用です。お金さえいただけば。" "金は持っています"」というようなヒントだったので、会場のほとんどの者は分ったようだった。解答者は口を歪めながら、真っすぐにならない首を起こすようにして答えた。「ダン・ダルダン。」厳しい司会者は、その不自由な発声によってなされた答えを正解と認めなかった。「"なぜですか。私が金を払わないと思ってですか。それとも、前勘定で払えというのですか。私は金は持っていますよ。" …」ユーゴーの名が出ても、彼はもう答えようとせず、汗で黄色くなっているシャツをわれわれの方に向けて、頭を下げたままだった——(注 3)
Ted: 1951 年 7 月 12 日(木)晴れのち雨
アセンブリーは、そして、「私は誰でしょう」は飽きることがない。司会者の読み上げる一語一語が、会場のわれわれに何かを叫ばせた。
各クラブから出すことになっていた解答者は、ぼくの知らない間に、各ホームから出すことに変更になった。きょうのショートホーム時の校内放送で知らされたそうだが、われわれのホームにはその放送が全然入らなかった。昼食後、Jack たちとぶらついていると、十五ホーム(ほかにも数ホームあった)のホーム委員は、いま直ぐ生徒会室へ、とスピーカーが叫んでいる。Jack がこれこれだろうというので、立腹しながら生徒会室へ行った。狭い生徒会室はごった返している。万年筆と紙を持って、何かを調べるような顔つきをしている上級生に、「何ですか」といった。用件は Jack の話で分っていたのだが、われわれのホームはあくまで聞いていないのだから、こういってみたのだ。「アセンブリーの」とか答えて、相手は一人でうなずく。「アセンブリーの何ですか」とたたみかけては気の毒だから、少し離れて様子を見ていた。十六ホームのホーム委員の MR 君がノートの切れ端に書いたものを提出して行った。なるほど。もう一度さっきの上級生を捕まえて、「十五ホームですが、決められません!」といった。相手は持っていた紙の十五と書いてある上にレ印をつけた。ぼくが出ることにしておいてもよかったが、「賞品をもらう役だから自ら出たのだろう」と思われてはいけないので、そうはしなかったのだ。
「私は誰でしょう」の司会者は長身の二年生で、新聞クラブ所属、先回のアセンブリーの「われらの学園」の司会もした人物である。開始の音楽や拍手、そして「私は誰でしょう!」の声まで NHK のと同じだ。録音盤を借りて来て使ったらしい(注 1)。司会者は、鐘をならす役からの連絡を受けるイヤホーンをつけて、最初の解答者に相対した。後ろには赤、緑、ダイダイ、紫などのテープが揺れている。
一人目の解答者は MTOK 君とかだ。「私はスイスで生まれて、のち、フランスへ行きました」を第一ヒントとする問題の第二ヒントのとき、会場の一番前にわれわれと一緒にいた Octo が、「ルソー。ジャン・ジャック・ルソーや。わしの調べたがと一緒や。世界史の本にあった。山上先生、笑うとる」などとつぶやく。そうだ。社会科で習ったばかりだ。解答者は答えられず、司会者は会場のわれわれに解答を求めた。われわれは一斉に手を挙げた。司会者はちょっと講堂の奥を見たが、そちらには余り手が挙がっていなかったと見えて、目を Jack とぼくの上に注ぎ、Jack を指名した。ぼくが彼の耳に答えをささやいたとき、「理想?」と聞き返した彼は、うまく賞品をせしめた。
歴史上の人物として、第一ヒントに小倉百人一首の歌が出たのがあった(百人一首を得意としないぼくは、その歌を忘れた)(注 2)。Octo は今度も、「坊主や。蟬丸の次に偉いがや。誰やとな。むかつく…」とつぶやきながら、「記憶の再生」手続きを踏んで、「西行や!」にたどりついた。第三ヒントあたりの、本名・佐藤義清が出たところで、ぼくの記憶も再生された。
Dan が解答者として登壇したときは、われわれの方に落ち着いた笑顔を見せ、時の人を選んだ(ぼくも解答者になったら、そうしただろう。ただし、選択のことだ)。第一ヒントに、何年にどこの学校を出て、共産党に入ったということが出た。Dan が Jack に渡して行った『現代用語…』という本を、ぼくが取り上げると、ちょうどそのヒントと同じ記述のあるページが出た。われわれは、「金」の字を宙に書いて見せた。しかし、Dan は次のヒントを聞いて自力で理解し、力強く答えた。「キム・イルソン!」(あとで聞いたら、われわれがせっかく彼に送った信号には気づかなかったということだった。)
Massy も時の人を選び、第五ヒントに達しないうちにシャウプ博士を当てた。アセンブリーの始まる前に、Jack に『現代用語…』を使ってぼくに出題をさせてみたら、シャウプ博士のところを読み上げたので、ぼくは、たまたま、何年にコロンビア大学卒業という第一ヒントで分ってしまったが。古橋選手やモロトフ・ソ連副首相が出たあと、OK 君が「私の名前は漬け物に関係があります」というヒントの歴史上の人物を当てた。
Lincoln 先生のホームの OD 君には、「ケンタッキー州で生まれた」Lincoln が出題され、彼は第一ヒントで答えた(この出題は偶然だろうか)。会場全員に対するノンセクションで、スコットランド生まれの、宣教師になろうとした人物が出た。Sam はこれだけで分るかい? ぼくが振り返って見ると、誰も手を挙げていない。もう一秒、正しいかどうか考えても大丈夫と思ったのがいけなかった。ぼくと同じく最前列にいた十五ホームの Peace(TM 君)が手を挙げた。司会、「そうですッ。」しまった! 最後に解答者全員が登壇して、ワンヒント・ゲームが行なわれた。これは、ぼくの全く知らない映画人だった。
初めの方に出場した解答者のかわいそうな話を書かなければならない。彼は風紀委員長で、経済研究クラブ所属(クラブ長かもしれない)である。首がいささか曲がっている。Jack の説明によると、能登の方へ転校した OKB 君の親友だったそうで、頭がよい。ときには不気味な目つきをするが、優しい心の持ち主である。選んだのは架空の人物で、第一ヒントが長く、司会者が読み終えないうちに第一ヒントの解答時間終了の鐘がなった。司会者は鐘の担当者に時間延長を命じた。「"お客様、何を差し上げましょうか。" "何か食べるものを下さい。それから、泊めてくれませんか。" "お安いご用です。お金さえいただけば。" "金は持っています"」というようなヒントだったので、会場のほとんどの者は分ったようだった。解答者は口を歪めながら、真っすぐにならない首を起こすようにして答えた。「ダン・ダルダン。」厳しい司会者は、その不自由な発声によってなされた答えを正解と認めなかった。「"なぜですか。私が金を払わないと思ってですか。それとも、前勘定で払えというのですか。私は金は持っていますよ。" …」ユーゴーの名が出ても、彼はもう答えようとせず、汗で黄色くなっているシャツをわれわれの方に向けて、頭を下げたままだった——(注 3)
引用時の注
- 手軽な録音装置のなかった時代である。
- なげけとて月やはものを思はする かこち顔なる我がなみだかな
- われわれはなぜ、「彼はジャン・バルジャンと答えたぞ。正解と認めろ!」と司会者に抗議しなかったのか、不思議だ。
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