2013年2月16日土曜日

階下のおうなごが…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 12 日(木)晴れのち雨(つづき)

 社会の時間にフランスの第四共和国憲法で行政に関係のある条文を発表した ISZ 君(医王山中出身)の口調は、活弁のようだった。活弁というものを実際に聞けば、全く異なると思うかもしれないが、凡人並みの口調ではなかった。力んで、かみしめるようで、すらすらしている。難しい言葉について質問されることを用心してか、前もって辞書を引いて来て、説明を挿入しながら発表したのが、よいようで悪かった。「批准」についての説明は、昨日の夕刊に「条約の批准は来春か」とあって、ぼくはその意味を知らなかったから、ありがたかった。しかし、「特赦」の説明は、ぼくを「言い直せ」とつぶやかせ、先生を「おかしいね」といわせ、さらに発表を中断させるものとなった。フランスに「天皇」が現れたからだ。ISZ 君は、「辞典を見たらそう出ていました」と答えた。それは日本の特赦のことさ。

 雨の降り始めた中を帰ろうと運動場の方へ出ると、ユニフォーム姿のナインがグランドでノックを受けていた。Tacker が大きな声で、「ほーら、逃がいた!」、「あんな投球、なんなるい!」
(注 1)などと大きな声でいうから、こちらが赤面した(自分の顔は見えないから、こういう表現を使う作文は下手なのだそうだが)。ベンチを運んで来たルース顔の名選手に Jack が「どこと試合あるがや」と聞いたときの答えが「専売公社」だったから、ほっとした。あの下手な連中はわが校の選手ではないのだ(注 2)

 いなだ
(注 3)に添えて皿の上にあった食物について、祖父が母に質問した。「こりゃ、こんぶかいね。」母が「きんじそう(注 4)」と答える。祖父「そうかいね。きんじそう。植物とは思えん…。うーん、こんぶやね。」自分の思いが修正出来ない種類の耄碌(もうろく)のようである。

 階下の女子(古文中では「おうなご」と読む。紫中3年生)が、「夏休みの講習を受けたら、どれだけよいことがあるか」と質問に来た(きょうは、質問や答えという言葉がよく出て来る)。「そりゃ、とてもいいぞ」と、昨年のプリントを出して見せたら、「品詞を書け」という問題に「連用形」などと書いたのが出て来た。彼女が部屋を去るとき、「本見せてあげっか」といったから、「うん」と答えたが、ウシの首にネコ用の鈴をつけてくれたような結果になった。持って来たのは『少女』という雑誌だ。一字も読まないで突っ返した。

引用時の注
  1. 「逃がいた」は「捕球を誤り後逸した」の意。「なんなるい」は「何になるか、どうなるか」の意。
  2. 金沢専売公社の野球チームには、この翌年国鉄スワローズに入団した宮地惟友(よしとも)投手(1956 年、出身地の石川県営兼六園野球場で日本プロ野球史上 3 人目の完全試合を達成)がいて、北陸では強い方のノンプロ・チームだったはずだが。
  3. 夏の油の少ないブリを干した金沢名物。
  4. きんじそう(金時草、錦紫草)は、加賀野菜として人気がある。キク科。和名スイゼンジソウ。学名 Gynura bicolor DC.

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