2013年2月28日木曜日

兼六園球場でプロ野球観戦


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 日 20 日(金)曇り一時雨

 Jack が使ってわれわれを笑わせたことのある言葉でいえば「強制的に貰った」入場券で、野球を見に行く。KZK の小父さんが、昨夜 150 円の前売り券(内野席)を持って来て、「明日行ったらいい」といわれたのだ。早飯をして、開門の一時間半後に兼六園球場へ行く。三塁側に陣取る。話しかける者もいないから、顔の向け場に困る。帽子の色が一度にはげるほど日が照りつけてはいないが、暑い。野球狂の Kengo が、UW 君の表現によれば「くしゃくしゃ」の顔で、観戦に来ている。「オス!」とそばへ行く気はしない。コーチャーズボックス後ろから外野席にかけての内野席は、ぼくが入ったときはがらがらだったが、次第に埋まって、Kengo も見えなくなってしまう。

 近鉄パールズ入場、続いて大映スターズ入場。誰がどれで、どれが誰か、スタルヒン投手以外は、すぐには分らない。しかし、スタンド内を十円で売り回っている背番号入り選手名鑑(雑誌『少年』五月号付録)を見ながら、「29 か。苅田、3 は、3 は…、坂本。 6 は…島方」などといっている後ろや横の人たちの声で、かなり知り得た。フリーバッティング、シートノックも終ると、柴野・石川県知事が始球式をするとのアナウンスがある。後ろの席で、「国鉄の金田ァ、キカンもんや。こないだノーダン満塁からあと、三者凡退にしたが、キカンもんや」などとしゃべっていた登山帽姿のおやじさんがいった。「わしゃ石川県に六年もおって、柴野さんの顔知らんが、どんなごじんやら、いま初めて見てやる。」彼は望遠鏡を取り出す。サングラスをかけてプレートについたサウスポーの柴野さんは、ぎこちないフォームで投げ、大映のトップバッター山田に空振りして貰い、ちょこちょこと小股で引き下がった。

 昨日まで七勝四敗の林投手を起用したスターズは、パールズをさんざんにかき回していたが、空がかき曇って来て、われわれは夕立に見舞われた。(つづく)

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