2013年2月17日日曜日

校内球技大会の日


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 7 月 12 日(木)曇りのち雨

 朝は普通通り登校。といっても、それは時間のことで、道具は何も持たない。校門を入ったところの掲示板に「晴天ならば球技大会、雨天ならば水泳大会」と記してある。ホームに行ってみると、プールに面した側の窓が全部、はずしてあったので、水泳大会になるのかと思っていたら、放送で球技大会をするとの知らせがあった。ぼくたちのホームはどの種目にも勝ち残っていないので、すぐに帰れると喜んだが、正午にもう一度出席をとると聞かされ、帰ることが出来ない。ホームルーム・アドバイザーの助言で、中止になりかけていた夏休み中のホームの行事について話し合うことになった。
 費用、候補地、日時について順に討議し、百円程度、最高百五十円までということで、高松の海水浴場行きを七月二十八日に実施と決定。旅費は百円の見込み。雨天となった場合は、八月四日の登校日に再検討することにした。費用の徴集のため、二十五日に登校することも決めた。こう書くと、スムーズに決まったようだが、実は議論はあっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりして、延々一時間にわたった。

 外出証明書を貰って、UED 君と校外に出る。例の金沢○○○○○○○へ行くためである。やっぱり、全然ないと聞き、むなしく帰った。Scap Library に立ち寄ろうとしたが、火・木は午後一時からということで、駄目だった。
 帰校すると、職員対三年生(何ホームか分らない)のソフトボール試合が行なわれていたので、見物する。生物の永藁先生が投手。ソフト部のコーチだけあって、なかなか上手だ。それを見飽きてから、フニャフニャのボールでバレーの円陣パスをしている仲間に加わった。ボールもボールだが、プレーヤーもプレーヤーだ。とうとうばからしくなって止めてしまった。
 そのうちにサイレンが鳴った。ようやく解放されるんだなあと、とても嬉しくなった。ホームに帰ると、数時間前に決定したホームの行事がプリントとして渡された。それによると、期日は二十七日(金)ということになっている。金沢駅発午前七時十一分、同着午後五時八分。これならちょうどよい時刻だ。

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