高校(1 年生)時代の交換日記から
Ted: 1951 年 7 月 19 日(木)晴れ
Oчень занят (= Very busy) だ。
昨夜の月は大きかった。向かいの家から Sound が、彼の母と妹と一緒に、夕方どこかへ出かけて行くのを見た。ぼくの母もぼくを散歩に連れ出した。汗もかかないし、蚊にも刺されない、気持のよい散歩だった。聖母の心を持つ母と、悶々とした心を持つ息子は、一緒に歩いた。月に向って、市営住宅の尽きるところまで歩いた。月とちょうど向き合うところに早くから出ていた Venus の他に数個の星が認められるようになる頃の帰途、K 判事の家の前を通った。
母「ここの息子は手が長くて、高校を退学になったがや。お父さんが検事やとか判事やとかいうがにね。」
ぼく「ふーん。その妹、一年におる…。」
母「…小母さんは ×× 学校の英語の先生やったがや。」
ぼく(道理で、彼女は英語が少しばかり出来るようだ。)(注 1)
こういうわけで、日記が少ししか書けなかったのだよ。
葉書は使い始めたら、続けざまに使いたくなる。でも、もったいないから、書きさしのようなのを使った。昨年の正月に使い切るべきだった、"OMEDETO" の下に虎がスクーターに乗っている版画を押したのが一枚あったのだ。受取人は Tom だから大丈夫。「夏ボケしたのじゃないかって? 心配しなくていいさ」などと書いておく。
Jubei-san からわれわれ宛に、「お便り有難う」と書いて来た。季節の「節」の一部が「おおざと」の形になっている。小学生的な間違いだ。いや、他人のことばかりいえない。ぼく自身も「事件」の発端となった手紙に二つのミスをしていた。たいしたことではないだろうが、気になって仕方がない。
暑さで空気のゆがむ午後の、影の短いうちに、Jack を訪ねる。藤五郎がそれをして金を発見したのと同じ作業に、前の家の方へ行ったということだ。(つづく)
Ted: 1951 年 7 月 19 日(木)晴れ
Oчень занят (= Very busy) だ。
昨夜の月は大きかった。向かいの家から Sound が、彼の母と妹と一緒に、夕方どこかへ出かけて行くのを見た。ぼくの母もぼくを散歩に連れ出した。汗もかかないし、蚊にも刺されない、気持のよい散歩だった。聖母の心を持つ母と、悶々とした心を持つ息子は、一緒に歩いた。月に向って、市営住宅の尽きるところまで歩いた。月とちょうど向き合うところに早くから出ていた Venus の他に数個の星が認められるようになる頃の帰途、K 判事の家の前を通った。
母「ここの息子は手が長くて、高校を退学になったがや。お父さんが検事やとか判事やとかいうがにね。」
ぼく「ふーん。その妹、一年におる…。」
母「…小母さんは ×× 学校の英語の先生やったがや。」
ぼく(道理で、彼女は英語が少しばかり出来るようだ。)(注 1)
こういうわけで、日記が少ししか書けなかったのだよ。
葉書は使い始めたら、続けざまに使いたくなる。でも、もったいないから、書きさしのようなのを使った。昨年の正月に使い切るべきだった、"OMEDETO" の下に虎がスクーターに乗っている版画を押したのが一枚あったのだ。受取人は Tom だから大丈夫。「夏ボケしたのじゃないかって? 心配しなくていいさ」などと書いておく。
Jubei-san からわれわれ宛に、「お便り有難う」と書いて来た。季節の「節」の一部が「おおざと」の形になっている。小学生的な間違いだ。いや、他人のことばかりいえない。ぼく自身も「事件」の発端となった手紙に二つのミスをしていた。たいしたことではないだろうが、気になって仕方がない。
暑さで空気のゆがむ午後の、影の短いうちに、Jack を訪ねる。藤五郎がそれをして金を発見したのと同じ作業に、前の家の方へ行ったということだ。(つづく)
引用時の注
- 母が私を散歩に連れ出したのは、かなり珍しいことだ。私が K 判事氏の子息のようにならないよう、一言いっておきたかったのかと、いまになって思う。
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