2013年2月24日日曜日

雨傘を振りながら逍遥


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 17 日(火)曇り

 われわれが通信をしているのは、ぼくが Sam にいろいろ頼むためのようだ。Sam の方からは、何も頼んで来ないので、気が引けるが、いままた頼まなければならない。Sam に書いて貰うよりも、Sam のホームのホーム委員長に書いて貰ったらいっそうよさそうだが、一応、Sam に頼むから、どちらかで書いてくれ給え。他のホームのホーム委員長でもよい。Sam が知っていて、書いてくれそうな人物だったら、その人にも頼んでくれ給え。わが校のホーム研究委員会の YMG 先生から、委員の一人ひとりに頼まれたもので、自分のホームについて書く他に、他校のも聞けたらとのことだ(別紙参照)。しめ切りは来月末。

 雨が降らなかったから、そして、Jack が予定通りイモ掘りに行ったから(こんな予定を彼が持っていたことを、うっかり忘れていた)、午後いっぱい逍遥することにした。『リーダーズ・ダイジェスト』を片手に Jack の家へ向うところだった Lotus は、紫中の前でぼくに出会い、時間と下駄の歯と精力の無駄な消耗をしないで済んだ。
 逍遥の決心をしたのは、天徳院まで引き返してからだった。行き先が決まっていないのだから、会うと行き先を聞きたがる動物のうち、ぼくを知っている者に出くわすことを懸念しながら歩く。その辺の土地が陥没したと新聞に出ていた下百々女木(しもどどめき)から馬坂を下る。青い岩を伝って落ちている滝に屋根をかけて、不動明王とか決め込んだところがある。その滝には、目の悪いのを治してくれるという迷信か理屈抜きの科学かがある。頭を下げたり、その水で目を浸したりこそはしなかったが、いくらかの敬虔の念を持って
(注 1)駈け過ぎた。馬坂は、cos の値を 0.866 とする角度の傾斜は十分にあるから、自然と駆け足になる。坂を下りて左へ曲がり、天神町、材木町を通る。昨日 Jack や Octo と往復した道を直行し、材木町小学校のそばの SM 雑貨店へ来た。ここで逍遥は止む予定だったけれども、第二人称に必ず「きみ」を使う SM 君の丁寧な話し方を思い出したら、彼に会う気にはならなかった。

 なお少し直行して、あとはジグザグに行くうちに、裁判所前へ出てしまう。エカテリーナ・マースロワがヒロインである小説の裁判の場面や、小学校六年のとき AR 先生にここへ見学に連れて来られ、窃盗犯の裁判を見学したことを思い浮かべながら、車庫前から石川門への陸橋をくぐる方へ折れた。消防自動車のガレージの時計は二時十五分。Sam がバドミントン君と来たのは、アルバイトのための公共職業安定所ではなかったかなと思っているうちに、Scap Library を過ぎ、通った経験のない道路上を傘を振りながら歩き始めていた。
 茨木町とはここだということを初めて認識してから相当歩んで、ようやく新竪町小学校の前を通る道へ出る。犀川に沿って上りながら、連日の雨でとうとうと流れている川面の眺めを楽しんだ。公設運動場からの帰りによく通った道を探して、猿丸神社の見える坂の下に達したのは、だいぶん無駄な歩き方をしてからだった。雨の子どもの日(憲法記念日だったかい?)に、Funny と一つの傘に入って立っていた場所は、いま、なぜか不快に思われる。「宮殿」のごく近くだから、その辺りをうろうろしたくなかったが、ここまで来ていながら MR 君の家を訪れないのはあらゆる法則に反することだと考えて、彼をたずねることにした。(つづく)
引用時の注
  1. 私は早くから近眼だったので、それが治るものなら治したいという気があったのだろう。

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