2013年2月26日火曜日

「S、東京へ行くがやぞ」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 19 日(木)晴れ(つづき)

 大学病院の門の付近で、百数十米向こうから、帽子を被らないランニングシャツ姿で、リヤカーを引いて来る少年を認めた。そこで、ぼくは木曽坂を彼とともに、再び下ることになった。ジャガイモを三つのごわごわした袋につめてきた Jack は、ぼくと会わなかった二日間を語った。忙しそうだ。同じだ。けれども違う。そして、ぼくは、いまこうしているし、Jack は昨日の午後、Lotus の家で寝ていたという。彼は忙しかった話のあと、紫中のプールからのバチャバチャという音とキャッキャッという声の聞こえる下を通るとき、こういった。
 「S、東京へ行くがやぞ。」
 T「…………………………」
 J「いいなぁ。」
 T「…………………………」
 J「"音楽の" やぞ。」
 T「うん。」——
 J「旅行や。それでも、いいなぁ。」
 I「うん。」——
 J「Jubei-san から二通葉書来たぞ。」
 T「わしのとこも。持って来た。」
 J「わしも。」
 T「へぇー。」
 J「いっしょなこと書いとるな。」
 T「『気の弛み勝ちな』とか、『呉々も』やな。」
 J「『これを機会に君と文通しましょう』やて。自慢らしい。」
 T(J から渡された三枚目の、"ピアノの S" からの葉書を見て)「自分で崩したがでない字やな、こりゃ。」
 J(同じ葉書を覗き込んで指差し)「何や? これ。」
 T「『おうかがい』や。これか。『うらやましいでしょう』や。『(解析のことじまんらしい)』とあるぞ。カッコして何や。この辺[行が]ぐねぐねやがいや。」
 紫色の像を思い浮かべる必要はなかったのだ。主語はあったが、簡単過ぎたじゃないか。Jack の話は記者的でなく、小説家的だ。
(注 1)
 Jack の家では、お互いに問題を出し合って(教科書からと、自分で作ったのと)、解析の試合をした。
引用時の注
  1. われわれの友人に、姓の頭文字を S とする同姓の女生徒が二人いて、一人は中学のとき Jack と同級だったが、高校はわれわれとは別の I 高校へ行っていた。私は高校生になってから、彼女に関心を抱き始めていた(私の心の中で彼女はなぜか「紫色の像」だった)。日記には Minnie のニックネームで、たまに登場する。もう一人の S さんは、Jack や私と同じ高校にいて、この頃、われわれと同じく新聞部にも属していたが、ピアノを得意としていたので、"音楽の S" あるいは "ピアノの S" といえば、こちらと分るのだった。Jack はこの頃、ピアノの S と少しばかり親しくしていた。この日 Jack が「S(実際には頭文字でなく、姓をいっている)、東京へ行くがやぞ」といったとき、その姓を聞けば Minnie の方を思い浮かべがちだった私は、彼が Minnie の東京への転校について情報を得たのかと思って驚き、長い「……」で表したように、しばし言葉が出なかったのだ。実は、彼は "ピアノの S" から、夏休みに東京へ旅行にいくという葉書を貰ったことを話したのである。

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