2013年1月28日月曜日

ラジオ番組「二十の扇」?


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 7 月 3 日(火)曇り

 英語の時間、以前バドミントンを一緒にしたことを報告した友人から一片の紙を受け取る。何だろうと思って開いて見ると、ラジオの放送番組が記してある。好きなものから順に番号をつけよというから承知したが、読んでみて驚いた。「二十の扇」、「インチ教室」、「輪快な中間」…
(注 1)。これじゃさっぱりだ。そして、その数がたった三十数個。「向う三軒両隣り」、「故郷の町」、「ラジオ体操」など、抜けているのが二倍以上にもなる。「もう一度整理して来い」と書いて返してやった。(おっと、Ted にはあまり興味のないことだったかも知れない(注 2)。)

 放課後、その彼と本多町まで行った(いや、心配しなくてよい。われわれの行ったのは、宮殿でなくオフィスだ
(注 3))。「○○○○○○○」*と書かれた看板(表札?)他三つがかかげられている門を入る。Ted もぼく以前に通ったかもしれない。ちょっとまごついたが、受付で聞いてみる。「係の人がきょうはおいでになりませんから、住所とお名前をお告げ下さい。いずれ後で、葉書で通知いたしますから」といわれ、その通りのことをして、オフィスを去った。県営本多町アパートのスマートな建物を右に見て隣の SCAP Library に入る。移転後初めてここに入る。中央図書館よりさらに整っていて美しい。彼は『聖衣』という本を借りていた。
Ted による欄外注記
 * What is it?
引用時の注
  1. いずれにも誤字がある(うっかりすると見落とすようなものも)。その点では、まことにお粗末なリストだったようだが、三十数番組挙げてあっても、抜けているのが二倍以上とは、Sam の批評はいかにも厳しい。
  2. 大連から引き揚げて 4 年目で、間借り生活を続けていた私たちの部屋にはラジオがまだなかった。ラジオを買ったのは、この翌年だっただろうか。
  3. これより 3 ヵ月ほど前に Sam らと何度か玄関先まで訪れた中学同期の女生徒 Minnie の家を、Sam との間で「クレムリンの宮殿」と名づけていた。当時の私たちにとって、学年のマドンナ的存在だった女生徒の家は、近付き難い気のするものだったからである。なお、この後の「○○○○○○○」には、私の欄外注記に答えて、Sam が「公共職業安定所」と鉛筆で記入している。夏休みのアルバイト探しに行ったのだろうか。

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