2013年1月28日月曜日

机の引出しなど整理


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 7 月 4 日(水)晴れ

 問題の出し方が、はなはだ問題だ。走り幅跳びで砂場の外へ手をついた(踏切りに近い方へ)、そして外へ出た。測定如何、というのだ。外であっても、手の跡の踏切り板に最も近いところから、踏み切り板に直角に測る、と書いた。正解がオミットとかであれば、心外に絶えない。生徒要覧の序にも、「諸規定を守るには、諸規定を知らなければならない」とある。この出題の場合の判定は規定されているはずで、それをわれわれは知らされていなかったのである。
 生物の出題にも、問題の述べていることが不明瞭なものがあった。細胞を、その細胞の浸透圧より高い浸透圧の(すなわち、濃い)蔗糖液中に入れると、細胞の浸透圧および膨圧は増減するか、というのである。
 Octo に会ったら、出来たとか出来なかったとかいっていた。それに加えて、「踏切りは(利き足)の方に力をいれる」としたのは、「(足先)」とすべきだったことにも気づき、意気消沈した。正午のサイレンが空腹の腹をかすめて流れた。焦慮も楽観もしてはならない。

 Some の机の引出しやその他の、ものを入れるところはどういう状況になっているかね。長くて不自由な午後は、そういうところの整理をした。こまごました不要なものや、半不要なものや、目障りだが捨てられないものや、何とかしなければならないものや…、いつになったらこれらがなくなるか分からない。途中まで組んで人夫たちが逃げ出した建築のような仕事もある。そこから飛躍して顧みないのも残念な気もする。
(注 1)
 少年時代からの「アリの土運び」は、青年時代、壮年時代、老年時代へも続いて行くだろう。運ぶ土塊は、そのときの自分の力に重過ぎる程がちょうどよい。いまはその重さを増さなければならない時期だ。

引用時の注
  1. いまでも、机の引出しその他の収納場所は同じ状態にあるようだ。次節にいみじくも「老年時代へも続いて行くだろう」とある。

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