高校(1 年生)時代の交換日記から
Sam: 1951 年 10 月 27 日(土)
四限の生物が珍しく休講(先生が結婚されたとかで)になったので、十二時前に帰宅出来た。
午後は、また学校へ行く必要があった。タイプライター競技会があるのだ。小松、桜丘、泉丘、北陸などの各高校も参加する。二時というのが、やがて三時近くになって始められた。競技会の途中で、電燈をつけなければならないようなことが起こったりした。
会では最初に、「滅多にない機会だから…」ということで、写真を撮った。それから、ぼくのホームの主任でありタイプ・クラブの顧問である NKJ 先生が開会の挨拶を述べ、競技の開始となった。規則は「原稿通り打つことを原則とする」(だから、原稿にミスがあってもそのまま打たなければならない)ということで、また、「誤字、余字、脱字は二点減点、スペースの誤りは一点減点を原則とする」というのだ。
もち!ぼくも参加した。しかし、ぼくなんかはてんで問題にならない。なかなか素晴らしいのが沢山いる——。
Sam: 1951 年 10 月 27 日(土)
四限の生物が珍しく休講(先生が結婚されたとかで)になったので、十二時前に帰宅出来た。
午後は、また学校へ行く必要があった。タイプライター競技会があるのだ。小松、桜丘、泉丘、北陸などの各高校も参加する。二時というのが、やがて三時近くになって始められた。競技会の途中で、電燈をつけなければならないようなことが起こったりした。
会では最初に、「滅多にない機会だから…」ということで、写真を撮った。それから、ぼくのホームの主任でありタイプ・クラブの顧問である NKJ 先生が開会の挨拶を述べ、競技の開始となった。規則は「原稿通り打つことを原則とする」(だから、原稿にミスがあってもそのまま打たなければならない)ということで、また、「誤字、余字、脱字は二点減点、スペースの誤りは一点減点を原則とする」というのだ。
もち!ぼくも参加した。しかし、ぼくなんかはてんで問題にならない。なかなか素晴らしいのが沢山いる——。
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