2013年7月17日水曜日

ラジオのとりこ/湯川博士が「二十の扉」に出題


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 3 日(土、文化の日)雨

 ラジオのとりこになる。


Sam: 1951 年 11 月 3 日(土)雨

 「文化の日」、祖母と抽き出しや押し入れをかき回して(何かのマンガにあったぞ)、どうにか家の前に掲げた国旗
(注 1)が、雨に濡れて、その名詞を二つ合わせて作られる音のような形容の出来ない状態になった。(注 2)
 午後から、やや晴れて来たので、学校へ行き、タイプの練習をする。クラブが大所帯になったから、こんなときにでも、沢山練習しておかなければならない。

 合わせて三時間にわたる紅白試合は確かに面白かった。
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  紅(女性) 白(男性)
回戦 問題 得点 問題
1 五十鈴川の水(出題:高松宮) 1 0, b 植・鉱 こま(出題:湯川秀樹)
2 待てど暮らせど来ぬ人 0, s 2, h, b 文福茶釜を買ったくず屋
3 猿蟹合戦で猿が登った柿の木 1 0, b 三人の女で姦しい
4 男所帯にわくウジ 0, s 1, b 仲人の口
5 野菜サンドイッチ 11, h, b 動・植 一つ五円のコロッケ
Open 0 1 植・鉱 新国連ビル

 注:b = 20 問に達しても答が出なくてカネが鳴る。h = 相手方のお手つき(stop をかけたが不正解)で 1 点獲得。s = 相手方に stop をかけて答えられ 1 点を与える。

どうだい、こんな表は。もちろん、完全なものじゃないよ。最初と最後は著名人の出題で、趣きがあったじゃないか
(注 3)。オープンゲームの出題は、日本の二十の扉の育ての親という方で(名前はちょっと覚えていない)、とにかく外国人の出題は初めてということだったネ。白組の方は全問題で「カネ」になっている。何と愚かしいことよ。他方、紅組が二回もストップを食い、二回もお手つきをするとは、よっぽどおっちょこちょいだ。これらの点から見ると、きょうの二十の扉は全く価値がない。トンチ教室の方は笑うことが多くて、ただただ愉快だった。いろいろ新しい趣向のがあったネ。
引用時の注
  1. サンフランシスコ講和条約が調印されたことによって、独立国に戻るという喜びのあった頃で、「日の丸」が侵略戦争のシンボルだったという反省が起こる前のことである。1960 年代の初め頃でも、母が祝日に国旗を掲げようといっても、私にはまだ抵抗がなかった。
  2. 「はたはたとひらめいている」とはいえない状態だった、ということを回りくどく述べている。
  3. 全く覚えていなかったが、湯川秀樹の出題はいかにも物理学者らしい。「こま」の運動は力学の方程式の対象になるからである。他の複雑な出題と異なり、単純な名詞だったにも関わらず、解答者たちが当てられなかったとは情けない。[後日の追記]このブログ記事の題名だけを見ると、Sam のでなく私の日記だったかと思わされた。

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