2013年8月24日土曜日

こんなことばかり考えているようでは…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 29 日(木)雨

 こんなところだったのか。祖父の手紙を投函しての帰りだ。帰りならば、



こんなことでは、駄目だ。働くことを知らない雄蜂め。何を追う。どこまで追う。そして、自分は何を持っている?(注 1)



地面にたまった水の上一面に落ち葉が浮かんでいて、足駄の歯がどこまで沈むか見当がつかないところを避けながら歩いて来るうちに、もう家だ。

 勝利がどんなものであるかは分る。しかし、喜びがどんなものであるかは分らない。これを追求しなければならない。これが分らなかったならば、二つが合わさった勝利の喜びというものは、ぼくの中で、はなはだしく抽象的、観念的なもののままになるか、あるいは、歪められたものになるかするに違いない。そして、そのことが、勝利ということだけを切り離して考える場合にも、それをよくないものにするだろう。
 …喜び、やはり、喜びだ、われわれが常にその中に浸っていたいものは。…それについて、どう考察するのが正しいかは分っている。(こんなことばかり考えているようでは、神はぼくに時間を与えることをちゅうちょするようになるかもしれない。この辺で止めておこう。)
 …(同じことをくり返しそうだ。無理に押しとどめて、形式的なことを書き、きょうはそれで鉛筆を取るまい。)

 Peanut 先生の時間の自習は、Jack の質問に応じたが、その中の二つは家へ帰ってから考えてみなければならなかった。アセンブリーは休会。
 帰ってすぐに、教科書を開いてみたら、わけのないことだった。勘違いと軽い忘却とは、しばしば、われわれを襲わないではいない。Jack が日曜日にぼくとしようという総復習は、試験の前に当たって不必要でもなかろう。
引用時の注
  1. このパラグラフは、5 行分を消すために貼った紙の上に書いてある。

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