2013年8月25日日曜日

Chons 先生が祖父を訪ねて


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 30 日(金)曇り

 夢想と恐怖。何もかも、一時的なものに過ぎないじゃないか。何もかもが…。何もかもが…。その一時的の中にあって、一時的とは何かを極めようとする。こんなことが偉大だと考えられている。そして、それを信じる。それも一理あるだろう。いや、そうしなければならないだろう。われわれは、それ以上のことについて、知る力を持たないのだから。
 こう考えると、中庸ということが分らなくなってしまう。あり得ないと思われて来る。しかし、あのように存在するではないか。

 Chons 先生(注 1)が祖父を訪ねて来られたから、驚いた。気の毒にも、先生は聞こうとした話(明治三十五年に出来た金沢博物学会とかのこと(注 2))を聞けないで、興味のない祖父の長話に、もじもじしていなければならなかった。先生の声は祖父の耳に聞こえるにはあまりに小さかったので、初めに自分がどういうものかや、何を聞きに来たかを、半紙に万年筆でしたためた。一行目は下の方に「私は」だけ書くという書き方である。ぼくの父をよく知っていたとも書いた。祖父からは何も得られないと悟った先生は、帰ろうとして、「いろいろお話をうけたまわりまして…」と書いたのだが、それを受け取った祖父は読もうともしないで、「ドイツの婆さんが…」、「レンテンマルク(注 3)が…」と続けるので、可愛そうになった。[つづく]
引用時の注
  1. 私が中学で理科を習った先生の一人。とても、もの静かな方だった。Chons のあだ名は、タンパク質を構成する元素、C、H、O、N、S を「チョンス」と覚えればよいと教えたことから。
  2. 明治三十五年(1902 年)といえば、私の母の生まれた年であり、祖父はその頃、金沢市内のどこかの学校に勤めていたので、Chons 先生は「金沢博物学会」について何か聞けないかと思ったのだろう。
  3. 当時は「リンテンマルク」という人名かと思って聞いていたが、いま思えば、祖父は「レンテンマルク」(ドイツでハイパーインフレから経済を立て直すため、1923年から発行された臨時通貨。不換紙幣)について話したようだ。

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