2013年8月15日木曜日

国語教科書に誤植が多い;アセンブリーの講演は感心出来ない


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 11 月 22 日(木)晴れ

 実にまずい。
 木曜日にはいつも、一、二限が早く済んでしまう。
 社会は、進み方が速いだけで、先生がつらつらと読まれるページ数に比例して、われわれの感じる時間の長さが延びるようだ。
 国語乙は素朴の美について書いてある「文化の遺産」を終わる。先生が質問がないかといわれたとき、Jack が「侵潤」と書いてあるところを先生は直されなかったが、「浸潤」ではないかといった。ぼくはすでに校正してあったので、先生が辞書を引いておられる間に、「うん、おかすでは、おかしい」とつぶやいた。次の課へ入ると、四号活字のところで、もう脱字がある。その次のページには、「享楽」の「享」が Peanut 先生の表現によれば「春風亭流橋の亭」になっている。
 アセンブリーは講演会。講師は、北国新聞に連載された林芙美子の小説の題と旧仮名遣いが新仮名遣いになっただけしか違わない題の随想を同じ新聞のさる十三日づけ夕刊に書いていた、石川県社会教育課長 M・K 氏
(注 1)。文化委員長が「いかめしい肩書きにも似ず、優しいお爺ちゃん」と紹介したのに対して言葉を返し、一昨日の北国新聞「北窓」欄にあったダイヤのエンゲージリング紛失事件の張本人である(それは子供部屋に落ちていた、と書いてあった)だの、「あわれ人妻」を書いただのといって、自分の精神の若さを述べることから始めた。早口で、ともすると自己吹聴になり、テーマであった「学生に何を望むか」に無理に結びつけようと、耳新しくもない抽象的な熟語を並べたりで、あまり感心出来なかった。

 Atcher が編集室へ入って来て、Jack とぼくに、発明ということがいかに莫大な利益を発明者にもたらすか、また、それがいかに些細なヒントから生じるものかを『実業経済』とかの本で読んだといって、巧みに話してくれた。
 アセンブリーの始まる前、Lotus は二次関数の不意試験があったといって、細長い答案用紙を見せてくれた。よく出来ている。なかなかやっている。
引用時の注
  1. 日記には、夕刊の随想欄から切り抜いた M・K 氏の、直径 12.5 mm の顔写真が貼ってあるが、ここでは省略する。

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