2013年5月5日日曜日

町の青年会


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 9 月 4 日(火)晴れ

 国語はきょうから Ted が好きな言葉の作り主(注 1)の日記抄に入る。彼の十八、九歳頃のものである。

 クラブ活動を終えると、取る物も取りあえず、Funny の待っている兼六園コートへ駆けつけた。とうとう手のひらがカチャカチャになった。親指には包帯を巻いて頑張った。試合をしたが思わしくなかった。
 八時から町の青年会の会合に行かなければならなかった。まず、会長の話があり、講和後における青年会の重要性、二大勢力の対立など。青年会の会費は十八歳以上が三十円、十八歳以下が十円、被雇用者および学生は無料ということである(注 2)。図書貸し出しもするそうで、五日間が五円だそうだ。しかし、読みたいと思うような本はない。何一つない。
引用時の注
  1. ラルフ・ウォルドー・エマーソン。私は "Every man I meet is my master in some point, and in that I learn of him. (私の出会う人は誰でも、何らかの点で私の先生であり、私はその点においてその人から学ぶ。)"(エマーソン全集、第8巻「偉大さ」第X章——最初、日本語版『リーダーズ・ダイジェスト』誌あたりで知ったと思う。原文と出典は 2006 年になって初めて知った。——)という彼の言葉を好むということを、交換日記のごく初めに書いたのである。
  2. 「被雇用者および学生は無料」といえば、会費を払う青年はほとんど皆無になりそうだが、「雇用」に狭い意味が設けられていたのだろうか。

英語の時間のいたずら


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 3 日(月)晴れ

 社会は、試験の前という理由で自習。ぼくの解析のノートには、また、違う答を書いてあった。その代り、進み過ぎているぼくは、教科書の間違いを発見して、ヨウコ先生に訴えることが出来た。P. 82 の 4 の c の第二式の y の係数の(「の」が六つも続いてしまった)符号が逆になっている。
 体操は、運動会にするマスゲームの練習。十六通りの動作があるが、九番目から十三番目までは二番目から六番目の繰り返しだから、ラジオ体操より覚えやすい。運動会の日の三分三十秒の規律と緊張のための苦労である(そればかりということもないだろうが)。
 英語の時間、われわれは机を教室の後ろへ下げて、Mouse 先生の独り活劇の舞台を広くしておく。教卓も教壇に上げて、授業の正味を少しでも余分に減らそうと工夫する者もいて、毎時間実行される。一学期に同様のことをしたときには、先生は「湾のようになっている」といって、bay という単語を黒板に書かれた。先生が出席を取られる間にも、何かと障害を入れて、かなりの時間を失わせようとする。きょうは、これまでに時々あった声の交換のいたずらでなく、二人分の代返という甚だしい不正があったようだが、先生には気づかれないで、すらすらと進んでしまった。
 Tom が昨日出したといっていた葉書が届いていた。ぼくの字の影響を結構受けているから不思議だ。それでも、違うところは違う。大いに雑だ。

2013年5月4日土曜日

比体重、体力指数などの計算


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 9 月 3 日(月)晴れ

 昨日あたりから朝晩はめっきり寒く、とまではいかないが、涼しくなてきた。そういえば、夏時間も今週で the end になる。

 保体は水泳の予定だったが、プールの水を換えるために、空っぽにしてしまったので、18 教室で比体重や体力指数などの計算をやらされた。
 比体重=体重÷身長×100 (31.9)
 比胸囲=胸囲÷身長×100 (49.0)
 比坐高=坐高÷身長×100 (54.1)
 体力指数=(7×年齢)+(身長÷2)+(体重×2) (291)
として求めるのである。カッコ内に示したのは、ぼくの値だ。ぼくの身長は四桁なので(それが普通には違いないが)、計算に時間がかかった。それでも早く出来た方だった。
 ホーム時は最初から楽観出来なかった。時間の始まる前に、ぼくが黒板に二学期のホーム行事を書いていると、Keti とホーム会計(未だによい呼び名が見つからない)がそばへ来て、いちいち、わあわあとけなしてかかる。そうだ、そうだ、といいながら、平気で最後まで書いてしまったが、よっぽどしっかりしていないとうまく行かないぞと思った。ところが、ホームの時間が始まってみると、誰も発言しない。HRA がしばしば会議を進展させようとしてしゃべりまくったが、いっこうにラチがあかない。ぼくは始終、「何かありませんか」、「どうですか」、「いま先生がおっしゃいましたが…」と、同じようなことを繰り返していなければならない。初めは少し上がり気味だと自分で感じていたが、だんだんばからしくなって来た。結局、一時間を通して発言したのは三人で、件数は五件であった。その間、ぼくは意見のないまま、「何と何に分けて採決します。何々に賛成の方…」と採決しなければならなかった。ホーム行事の方は、九月十日と十七日に行なうことになっていた水泳がバレーボールと自由ということに変更された以外はそのまま実行することにしたが、その他に、HRA から病欠の生徒に対するお見舞いの件についての提案があり、委員一任ということになってしまった。実を言えば、ぼくはこんな仕事は大嫌いである。それでも、やらなければならないだろう。

 Funny が足をくじいた(というほどでもない)とかで、きょうは庭球の練習に行かなかった。今晩は夜店がある。もしかすると、今年最後ということになるかもしれない。

試験前の日曜に中心街へ


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 2 日(日)晴れ[つづき]

 ラジオの「のど自慢」が聞こえて来る。転がるように、流れるように。反射という反発的な性質を持っていながら自らの中に太陽を収めることの出来る鏡という代物がずらりと並んで模倣を行ない、そこら辺の楽しいものや明るさを二倍にしているかのような雰囲気が作り出される。日曜日には日曜日らしくしなければならない。Jack の家へ。試験の前だから来ないだろうと思っていたそうだ。二人で金沢の中心をうろついた。ぼくが喜多さんになったかと疑われるほどだ(注 1)。ほとんど通らない白線入り帽子をたまに見つけると、Jack は、「あれも菫台でない。みんなカジッとるらしいな(注 2)」とばかりいっていた。流行歌集を買って来たという Tom に、大和と宇都宮書店の間で出会う。ぼく宛に葉書を出したことと、六日に試験があるので、その前に習いに行くということだけを聞かされた。
 兼六園の中の、ちょうど消防署の向かいに当たるところ、茶店兼貸し席所(正確には何という商売だろうか)の家に Garappachi(OD 君)を訪ねる。縁台で将棋が始まる。Garappachi が二勝一敗、Jack が二敗。他に誰かが一勝していないと、計算が合わないって? Garappachi の親戚で製材所へ勤めているというあんちゃん(将棋の場面にはこういう名詞が付き物だね)が一勝したのだ。ボー観(傍らでボンヤリ見ていること)していたら、ルールが少しは分ったような気がしたが、あんなに時間がかかって、じれったいゲームは好きになれない。
 Jack の家へ戻って、「私は誰でしょう」を聞いてから帰る。工藤祐経(注 3)の名がぼくの頭のどこにどうして収まっていたのか不思議だ。
引用時の注
  1. 学校での Jack のあだ名は「弥次さん」だった。その弥次さんと一緒に歩き回ったので、このように書いた。
  2. 「あれも他校生だ。わが菫台高校の連中は皆、明後日からの『スタンダードテスト』に備えて勉強しているらしい」の意。そういう日に、友人を誘って中心街をぶらついていたことは、私が点取り虫でなかった証明になるだろう。ただ、試験で間違いをすると、自分の理解不行き届きについて、人一倍悔しい思いをしたが。
  3. 工藤祐経(くどう すけつね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の伊豆国の武将。私は幼時に読んだ曾我兄弟の仇討ちの話で記憶していたのだろう。

2013年5月3日金曜日

「倫敦塔」などを読む


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 2 日(日)晴れ

 祖父の教え子の HMZ 氏という人が朝っぱらから来た。大阪から汽車に乗り、けさの三時に金沢へ着いたそうだ。氏が祖父と話し始めた頃には、ぼくはすぐ横の寝床の中で、目を開けてはいたが、まだ横になっていた。祖父は満鉄総裁だった早川千吉郎(注 1)という人がいかに立派な人物だったかを語った。食事を終わって、ぼくが四分の一坪の部屋へ行っている間に、氏はもういなかった。

 舌が口の中で飛びはねる。ある調子を持って動き回る。考えたことが、あたかもその調子に初めからついている歌詞のように付きまとう。外界に空気振動こそ及ぼさないが、そこに歌が形成される。

 「倫敦塔」。袋に押し込められている歴史。思索の針をその袋に突き刺すと、針の先にいろいろなものがわずかずつ付いてくる。それを集めて作った空想。それをふたたび包む袋は、倫敦に多い霧のようなもの。
 「カーライル博物館」。緑に囲まれ、空を見上げ、下界の騒音を忌み嫌った人、頭脳から自分の好むもの、想像し得る最良のもの、美しいものを押し出し、ひねり出して固め上げた人、カーライル。その人の追想。ただ外部から追想すれば、夢のような、遠くに望まれる崖のようなものだが、その底には一つの生命の真剣な呼吸と活動がある。そこまで、この文は追想している。
 「幻影の盾」(あとで書く。)(注 2)[つづく]

引用時の注
  1. 早川千吉郎 (1863–1922) は、石川県金沢市出身の、明治・大正期の官僚、実業家、政治家。1921年、南満洲鉄道株式会社社長となり、在職中の翌年に死去。(ウィキペディアの記述を参照した。)
  2. 図書館から借りた漱石全集の一冊を読んで、感想をメモしたのである。