2013年6月3日月曜日

尽くすだけのことは尽くした


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 9 月 27 日(木)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 28 日(金)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 29 日(土)晴れ[つづき]

ホーム旅行についてお願い

 先日ホームで片山津旅行は金沢発六時二十四分、着六時〇四分ということに決まっていましたが、本二十九日の交渉の結果、二水高ほとんどが上り六時二十四分を利用するので、申し込みが遅かった関係上、駅の方で絶対に駄目だと断られ、やむなく金沢発九時二十六分、着八時二十八分に変更しました。都合の悪い方もおられるかと思いますが、この点後了承下さいまして、ご協力、ご参加いただきたいと思います。くれぐれもお願いいたします。
ホーム委員長

このような文だ。書き上げたら三時半になっていた。まだ、昼食は食べていない。謄写版で葉書を刷るというのは生まれて初めての経験。
 今度は、一人一人の住所を書かなければならない。不参加者には送る必要がないから省く。金沢局区内…金沢局区内…。どれもこれもみんな金沢局区内だ。原則として番地という字は省いた。男生徒には君を、女生徒には様をつけておく。ホーム全体の生徒に、例えそれが事務的な連絡であるとしても、葉書を出すというのは素敵だ。
 書き上げると、さっそくその足で本局まで葉書を入れに行く。いっときも早くみんなに届けたいからだ。本局に着いたのは、五時十五分前だった。
 やっと、ほっとした。これでどうにかなる。尽くすだけのことは尽くした。…

2013年6月2日日曜日

さぁて困った


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 9 月 27 日(木)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 28 日(金)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 29 日(土)晴れ[つづき]

 「輸送課! 輸送課ですか。いまね、二水高校のね…、はいはい…そうですか、…そうですか、…分りました、…ええ、どうしてもですね、…よろしい、そう告げましょう。」まるで、お好み電話だ(注 1)。やっぱり駄目らしい。
 団体でなければ、六時二十四分のに乗って貰っても差し支えないがね、割引は一割だ(とんでもない、そんなのはいや、一割引なら動橋までで一〇八円だ)。でなかったら、五時何分の一番で行くかい(馬鹿、六時二十四分ので、ぎりぎり一杯の早さだ)。どうだい(どちらも駄目にきまっている)。
 「では、金沢着の時間は早くなりませんか。」「それも同じだね。元への変更は出来ない。」「止むを得ません。では、金沢発九時二十六分、着二十時二十八分と言うわけですね。」「そうです。」「分りました。いろいろご迷惑をかけて済みません。」
 さぁて困った。一応は HRA に報告して…。「こういうわけです。どうしましょう。」「そうか。何なら目的地を湯涌あたりに変更するか。」「構いません。が、みんなが同意してくれないでしょう。」「そうだ、雑費としておいた二円を使って、葉書で連絡したらよいだろう。」「ええ、ぼくも道々そう考えて来ました。」「さっそく葉書を買って来て…。」「はい。」「その間に先生が原稿を書いておこう。」
 「こんちは!…葉書下さい、…三十三枚…、六十六円ですね、七十円で取って下さい、…はいありがとう。さいなら!」
 HRA は急ぎの用があるからといって、ガリバンと鉄筆と原紙と生徒の住所録をおいて行かれる。何だ、この文は。この長い文に読点が二つしかない。さっそく葉書の大きさに合わせて、適当な文に直して書いて行く。しかし、結果的には大して変らなかった。[つづく]
引用時の注
  1. 当時 NHK ラジオのバラエティー番組「とんち教室」で行なわれていたゲームの一つに「お好み電話問答」があった。出演者たちが電話での相手方の一連の返答を一度聞かされた上で、それに当てはまる話しかけを即興的に演じるゲームである。のちに『サザエさん』の磯野カツオ役を長年担当することになった声優・高橋和枝が返答者役を勤めた。ここでは、返答だけを聞いているので「お好み電話問答」の出題を聞かされている感じがした、ということを記しているのである。いま、この日記を読み返して、「問答」のついた番組名全体に思い到るのにしばらく時間がかかった(記憶が正しかったことは、ウェブサイト "FUKUSHI Plaza" の 1949 年のページ、ラジオ欄で確認出来た)。Sam は、番組名の通りに書けば、問いと答えの両方を聞いたようなことになると思い、「お好み電話」としたのだろう。

駅へ懇願に


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 9 月 27 日(木)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 28 日(金)晴れ
Sam: 1951 年 9 月 29 日(土)晴れ[つづき]

 零時半、サイレンが鳴って授業が終わる。引き止めた連中にホームに入ってくれと頼み、先生のところへ行く。「ただいま、すぐホームに入って…」の放送が二回ばかり繰り返された。先生は事務室の電話のところにおられた。なかなかうまく行かないらしい。ホームへ行くと、掃除が途中ほどまで出来ていて、廊下や教室の周りに寄りかかっていた男女生徒からブーブーいわれた。先生が来られるまで少し待って貰いたいといっておく。やがて来られた。先生が電話された結果では、やはり駄目だった。しかし、われわれはどうしても六時二十四分のでなければならないと、無理とは分りながら主張した。そして、今度は電話でなく口頭で聞きただし、六時二十四分にして貰うよう懇願することになる。九時二十六分のになっても不平をいわないで参加するよう、一応要望しておいた。それで解散。ぼくと NTM 君が自転車で(一台しかなかったので、一人が乗り一人は歩いた)駅へ行く。
 昨日とは違った顔の人がおられた。「昨日、団体申し込みに参りましたが、時間が変更になるとかの電話をいただきましたので、確かめたいと思って来ました」と最初に説明し、最後に二水高校 8 ホームであることを告げる。「その通り! 輸送課の方から書類が返って来ている。」「そうですか。弱ったなあ。どうしても六時二十四分になりませんか。同じ学校の生徒が大部分、六時二十四分ので行くのに…。立ち続けでも何でも構いません。」「うん。だから困るんだ。二水高校何ホーム三十名、何ホーム三十一名と、そんな申し込みばかりで一杯になってしまったんでんね。君たちのは、もう一日早ければよかったんだ。」「輸送課に問い合わせていただけませんか。」「あぁ、一応電話してみましょう。」[つづく]

2013年6月1日土曜日

駅から時間変更通知


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 9 月 27 日(木)、28 日(金)、29 日(土)三日とも晴れ

 I am very busy! I am very busy! Typewriting! Going to the station! Writing! Sōji (英語では表せないや)! Etc. 続く、続く、続く、…。それから、それから、…。あれだ、…、これだ、…。

 生物の試験の前の休み時間に、スピーカー放送で HRA に呼び出された。何事だろうと思って行くと、「昨日申し込んだのが遅かったか、向こうの都合で時間の変更を伝えて来た。金沢発六時二十四分を九時二十六分に、金沢着十八時四分を二十時二十八分にということなんだ。どうしたらいいだろう」である。昨日は Con と(彼は汽車で家へ帰るのだから、格別面倒ではなかったが)駅へ行き、さんざん迷ったあげく、ようやくのことで申し込みを終えて来たのだ。それが、変更とは? さっそく放送係へ行って「8 ホームの方は、ただいますぐホームへ集まって下さい」ということを四限終了後放送してくれるよう頼んで、あたふたと生物教室へ駈けた。
 気が気でない。8 ホームの生徒のうちまだ一人も答案を出さないうちに、まだ検討すべき余地は残っていたが、さっさと提出して、校門に立った。なぜって? ぼくのように試験を早く出してしまって帰ろうとするものや、何かの都合で早く終わったりした生徒が帰らないようにするためである。こんなときは、校門が一つしかないことがありがたい。零時二十五分頃からぼつぼつ帰る生徒が見え始めた。二十八分頃からは、いよいよ激しくなる。Keti など数人が来た。頼むから残ってくれ、というと、「何でや」、「わしらだんないやろ」、「おまえらで好きながにしてくれ」と、勝手なことを一人一人勝手に口にする。でも、「とにかく」といって、引き止めた。[つづく]

生徒会紙が差し押さえに


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 9 月 28 日(金)晴れ[つづき]

 『菫台時報』第十一号発行停止! 編集室で五十部ずつにして重ねられていた新聞が、差し押さえられ、持って行かれた。生徒会長 Tachi 君と Gamma 編集長が口論をする。発行責任者である会長は未検閲のものをなぜ印刷に付したかという。間違いだらけだともいう*。ぼくが見ても田舎臭い感じの紙面になっている。

 校内美化週間の最終日となり、屋外の掃除をする。「地球デコボコになって、表面積の計算難しなるぞ」、「回転の速度、鈍るかもしらん」というユーモアのほとばしるほど、われわれが手にした鍬は、中庭の土も雑草も苔も、もろともに耕した。TKM 君がやにわに、イヌの吠え声で示唆された花咲か爺さんのように、深い穴を掘り始めた。次に彼の動作は、緑色より茶色の割合の方が多い「ゴミ」をそこへ埋没する作業に移り、最後に、穴を掘ったために出た土を被せた。どこかへ分散したり、密度が変って体積が減ったところもあったりしたのか、掘った土は余ることなく、平坦な地面がそこに横たわった。

 FJW 新編集長は口ばかりの人物かと思ったら、熱意のあるところを Jack とぼくの前に示した。熱意さえあれば、新聞部を立ち直らせることも不可能でないだろう。それにしても、ぼくが入る新聞部は、中学でも高校でも、どん底の状態を経験してばかりいる。Jack が、外部から編集室へのちん入者が多くて、保存すべき何ものも棚に残っていないこと、新聞部の歴史さえもなくなりかけていることを問題にして、顧問の IT 先生に相談に行くというので、ついて行った。先生は腰から上をせり上げるような格好をしながら、口の右側をより大きく開く特徴の話し方で、「考えて見まっし」といわれた。
Ted 自身による欄外注記
 * 発行回数が年三回となったため、生徒議会で広告を載せないことに決定したが、それが徹底しないで第二面に五つの広告を載せたことが第一の問題だった。