2013年10月12日土曜日

Ted の高校3年のときの創作「逍遥試し」(4)


 丘へ登ると、樹木の深く生い茂った小山の一カ所に、赤茶色の岩肌がむき出しになっているところが望まれた。その下辺りがケートの名づけた「リップの円形劇場」だったと、常夫は覚えている。常夫は急いだ。しかし、赤茶色の岩肌はなかなか近くならなかった。岩肌の上辺りの空は真っ黒だった。
 《銀色に輝いて踊り流れていた渓流も、周囲を取り巻いていた緑の照り返しも、滲み出る清水に潤されて細かい光を見せていた岩壁の濃褐色と淡黄色の縞も、きょうは、いつかほど陽気な姿ではないに違いない。あそこでは、もう雨が降り始めているかも知れない。だが、引き返すわけにはいかない。別れたときは、こんなことになるだろうとは、思いもかけなかったのだが…。私の頭の上にも、大粒の雨がいまにも落ちて来そうだ。ケートも空を気づかっているだろう。とにかく、急がなければ…。》
 さっと強い風が常夫のシャツをふくらませて吹いた。と、冷たいものが一つ、二つ、首筋や腕に当たった。次第に急テンポになった雨滴の落下は、ぽつりぽつりから、さーっという音へ、さらにごーっという唸りへ進んだ。あたりに君臨するものは、常夫たちの逍遥の始めに地上を光と熱で支配していた太陽を暴力で駆逐した不気味な雷鳴と、白く太い無数の棒となって地に突き立つ雨だった。常夫は夢中で足を動かした。シャツもズボンもずぶ濡れとなって、身体にへばりついた。激しい降り方だ。濡れながら、いや、叩きつけられながら、彼は突進した。
 そのとき、常夫は
 「田川さーん。」
と自分を呼ぶ声を聞いた。声の方へ全精力をふりしぼって走った。草を踏み倒し、樹木の間を分け、ただ、声をめがけて、道なき道を走った。
 「ケート!」
と常夫も叫んだ。
 「田川さーん!」「ケート!」
 「ケート!」「田川さーん!」
声は急ピッチで双方から近づいた。そして、しぶきを上げてぶつかった。
 「田川さーん。」「ケート。」
彼らは、ほっと息をついた。ケートの金髪は肩へ水を流していた。雨の凶暴さは少しも衰えを見せなかった。
 「どうしよう。」
 「どこかへ行かなければ。」
 「どこへ?」
 「どこでもいいから。」
 彼らは手をとって、小走りに走り出した。暗くて白い、不思議な、矛盾したような世界を、一つの塊になって彼らは走り抜けようとしていた。
 「あっ!」
と、ケートがかん高く叫んだ。常夫の右手がぐっと下へ引かれ、次の刹那に彼の足は宙にあった。……[つづく]

2013年10月11日金曜日

Ted の高校3年のときの創作「逍遥試し」(3)


 「いや、少し別々に歩いてみるのだ。何かよいことがあるかも知れない。」
と常夫は答えた。
 「変な『かも知れない』ね。どうして?」 ケートはハンカチで胸を扇いだ。
 「ちょっと思いついたんだ。」
 「とんでもない思いつきね。せっかく一緒に来たのに。」
 「いけないかい? ここから三、四十分だったね。いつか行った K 川上流の、君の命名による『リップの円形劇場』までは。君はここを真っすぐに行くんだ。ぼくは、この裏の小道をたどってみるから。」
常夫は神社の後ろの竹やぶを指さしていった。
 「じゃあ、仕方がないワ。一人で考えごとがしたいのでしょう。」
ケートの靴音は、常夫の耳の中で笹のかすかなざわめきに変わった。

×     ×     ×

 雲の影がウリ畑を走る。ハスの葉が裏と表を交互に出し隠しして揺らいでいる。《自分のいまの頭の中の様子は、どう呼ぶべき状態なのだろう》と考えた常夫は、思わず一人で手を打った。新しい考えに触れ得たように思ったからである。《ケートと別れて歩き始めて、いま、ようやくことばを秩序正しく頭に並べたように思う。といっても、頭がずっと働いていなかったのではない。まず、ごろごろしていた、まとまらない考えを溶かし、沈殿させ、思惟という作用をする頭の中の溶媒を透明なものにした。透明になった溶媒は、写真の感光板のように、外界のさまざまなものをありのままに捕らえる働きを持つのだ。その働きが続いていたのだ。その働きの効用は、…
 《…創造の糧を蓄積することに違いない。創造! そうだ。なぜ、この単語をいままで忘れていたのだろう。創造といっても、無から有を生むことではない。創造の第一段階は、その材料の摂取だ。第二段階では、それを何かの道具でこねる。第三段階でも何かの道具で、おおよその形を刻み込む。第四段階で始めて創造の作品が完成する。第二、第三の段階で使う道具とは、何だろうか。…
 《感光板の働きをする溶媒のことに戻って考えなければ…。これが取り込むものは、…光だ。あらゆる波長の光のいろいろな組み合わせだ。われわれが周囲の物体の中から何か一つを選び、その色を、たとえばそこにあるカボチャの葉ならば、『緑』というように、目を閉じている相手にただ一言で伝えようとしても、相手にこれと全く同じ色を想像させることが出来ないと同様に、それらの光、すなわち、われわれの頭の中へ入って来るいろいろな事象も、ことばだけで完全に捕らえることは出来ないだろう。
 《創造しようとするものが、ことばの集合体、つまり文章である場合、文章の中でも、とくに、直接思想の加わらない叙景文ならばどうだろう。目に映るものを片っ端から、ことばに変える。それで叙景文が出来るだろうか。出来ないのだ。結果がすべてことばとしてのみ現れる創造の場合でさえ、ことばで作り上げられる以前に何らかの工程を経なければならないのだ。そして、この工程は、それなしには何も創造されないという重要なものだ。これが創造の第一義的なものなのだ。だから…》
 常夫は小川をまたいだ。《だから、ここに、ことばも方便に過ぎない場合というものがあるのだ。創造の基本がそれだ。『人類は、ものを創造することが出来る唯一の種』ということを、どこかで読んだように思う。創造は、恐らく、人類の持つ最高の能力だろう。最高の能力の発揮において、ことばが第二義的なものになる。…ありそうなことだ。私の推論は、正しく進んで来ているらしい。しかし、いま何か一つ、未解決のものを残して来たようだった。何だっただろうか。…》涼しい風が常夫の頬をなでた。道は狭く、草深い。
 《…ケートは何を考えて歩いているだろうか。…おや、これはポプラ並木の歩道で彼女に尋ねたのと同じ質問じゃないか。結局、この質問のために、きょうの逍遥に厄介な『ことば』の考察の重荷を背負う羽目になった。…いつかこんなことを考えたことがある。父が日本人で母がアメリカ人のケートは、ものを考えるときに何語の方を多く使うのだろう、と。これはまだ尋ねてみていないことだが、案外、ことばを使わないで考えているということも、われわれには多いように思われる。…こういうことを考えると、妙な意識が生じて、考えつつあることが次々にことばになってしまうが…。
 《先に考えた、まとまらない考えの沈殿、考察の溶媒の透明化、そして、創造の糧の蓄積、これらは思想その他のものの形成・展開以前の段階だった。しかし、ことばを使わないで考えている、もしくは、映像を『展開させ』ているといえる別の経験的事実は、何を意味するだろう。》急な上り坂になった。急なはずだ。常夫のたどる小道は一気に崖を五、六メートル駆け上がって、小高い丘の上へ連なっている。常夫は半分ほど昇ったところで、前へ出した足の膝へ手をのせて、丘の上を見た。空は暗くなっている。来た方を振り返った。灰白色の雲が青空をどんどん呑み込んで行く。《降りそうだ》と思った。[つづく]

2013年10月10日木曜日

Ted の高校3年のときの創作「逍遥試し」(2)


 常夫は反論する。
 「といっても、それは単純な経験の思想化のときには当てはまるかも知れないが、複雑なものにも当てはまるとは限らない。」
 ケートが答える。
 「ことばは、ある意味では、物事を抽象化しますが、それが私たちの頭へ飛び込んで来るときには、複雑なものを伴っています。いわゆるニュアンスってものを含んで…。」
 「だが、…さっきから逆接のことばばかり使っていて悪いが、ニュアンスは、ことばが一人の人間の内部に収まっている間だけしか働かないと思う。われわれの一人一人が一つの単語に対して持つ感覚は、厳密にいって同じではない。個人ごとに特殊なものだ。そして、その特殊性は、ことばが表現手段として外部へ出されると同時に姿を消すのだ。特殊な感覚がことばの表面から姿を消せば、述べようとしたことがらの意味もほとんどが発散してしまうだろう。」
 「受け取る方で、また色彩を与えるでしょう。」
 「そこで、ゆがめられる可能性がある。」
 「人の感覚はそんなに違わないものよ。」
 「いや、人間は個性の動物だよ。」
 そういって、常夫は、自分たちが不思議な論争を始めていることを発見して驚いた。《ところで、私はこの論争において、どんな立場をとっているのだろう》と、改まった調子で考えた。空を見上げた。青空が灼熱しているかのように白っぽい。ただ、向こうの山に接している部分の空だけは、うす黒い雲でおおわれているが、それがかえって、いかにも夏らしい感じを与える。単調なアブラゼミの声が耳の奥深くで響く。眼前には、秋の好収穫を予想させるように、イネが波打っている。常夫とケートは、いつの間にか郊外へ出はずれていたのだ。
 《どうやら、私はことばによる表現の限界を主張する立場にあるらしい。》常夫は半分ひとごとのように、こう考えた。《そうすると、これは、最近の私が何とかして理解したいと思っている問題と大いに共通するところがある。…共通するばかりでなく、これが、その問題の解決の鍵になるとも考えられる。》
 常夫が考え込んでしまった様子を見てとったケートは、何もことばを返さなかった。常夫は議論を再開したいと思ったが、一度離した推論と会話の糸は、思うように引き戻せなかった。
 最近の常夫が理解したいと思っている問題とは、彼が武者小路実篤の『幸福者』を読んでいて目にとめた「師」の一言である。「師」は、真心を日常生活に生かし得るものにとっては、ことばは不必要だろう、とか、本当に合点がいく人にはことばは不必要だ、とか述べ、しかし、いまの世には、まだことばが不必要だということは許されず、多くの人はことばのご厄介になって始めて、自覚と信仰とを得るのだ、と切り返して、現実において「道をとく」ことが必要であることを説明している。常夫が注目したのは、ここで「師」がことばを一応方便視していることであった。
 理解を伴わないで話をうのみにすることを嫌う常夫は、現実においての必要・不必要はともかくとして、「師」がそういう考えを前提的に述べている根拠を把握したいと思った。そこには、ことばが不必要であることの深い意義が秘められているように思われた。不必要の意義を究めたものには、ことばをまれにしか使わないことが許されるのだ、というような気もした。それで、ますますその意義を掴みたいと思うようになっていた。
 常夫は考えながら歩いた。しかし、考えはすぐにはまとまりそうもなかった。《私が無意識に、ことばの限界を認める側に立っていたことは、ことばの方便性が少し分かりかけているということかも知れない。だが、あるものが、用途あるいは効果に限界があるというだけで、それを全然不必要と断定し得るだろうか。…限界の外に、真の使用目的があるならば、そういう断定も出来そうだ。…》これだけのことを、相当長くかかって考えた。したがって、常夫とケートは相当長い間、沈黙して、田や畑の間を、あるいは、まばらな人家の前を通り過ぎたのだった。
 ケートはべつに退屈しているようでもなかったが、常夫には、彼女と一緒に歩きながら黙っていることが重々しく意識された。彼は口の中が妙に乾くような感じを覚えた。
 とある古ぼけた神社の前へ来たとき、常夫は突然、
 「別れよう。」
といった。
 「えっ?」
ケートは目を尖らしたような表情で、驚きを示した。 [つづく]

2013年10月9日水曜日

Ted の高校3年のときの創作「逍遥試し」(1)

 再掲載に当たって:「逍遥試し」は、高校 3 年の夏休みに、形式と内容が自由で、原稿用紙の制限枚数 20 枚ということだけが決まっていた国語の宿題として書いたものである。最初は論文風の随筆を書くつもりだったが、制限枚数一杯までそういう形式で書ける自信がなかったので、短編小説にしたのだったと思う。そのため、先に掲載した Sam の同時期の創作「橋」に対する私の感想の中で自ら評したように、「小説というよりは小説的粉飾をわずかにまとった対話形式の小論文といった方がよい作品」となった。学校へ提出した清書は返却して貰わなかったが、Sam との交換日記の 1953 年 8 月 5〜9 日のところに下書きが残っていた。それを 2006 年に旧ブログサイト "Ted's Coffeehouse" に掲載したが、同サイトはプロバイダーの事故で消滅した。幸い私のハードディスクに控えを残してあったので、ここに再掲載することにした。前回 (1) を掲載したとき(2006 年 8 月 1 日)に、「大学生になった私自身を背伸びして想像し、それをモデルに、対話と思索を中心にした理屈っぽい創作を書いたようである。いま、引用のための書き写しを始めて、最初と最後くらいしか覚えていなかったことに気づいた」という注を記している。

 「君はいま何を考えていた?」
 照りつける陽光を受けて、それを豊富な葉の間に抱え込んだポプラの木々が微笑むように立ち並ぶ人道を、しばらく無言で歩いて来た常夫は、ケートにこう聞いた。
 「……」
 ケートは歩きながら、行く手の彼方に霞んで横たわる山の辺りへ向けていた青い瞳をちょっと彼の方へ転じたが、黙っていた。終点で折り返す電車の音が、彼らの後ろの空気を揺すって遠ざかった。
 常夫は続けた。
 「高校の国語の教科書に、確か『ことばの論理』という章があった。そこにポーとモンテーニュのことばが出ていたね。ポーはその中で、『考える、ということばを聞くけれど、私は何か書いているときのほか、考えたことはない』というモンテーニュのことば――『モンテーニュだか誰だったか忘れたが』と書いてあったようだが――そんなことばを引用していた。もしも、これが君の場合にも当てはまるならば、こうして歩いているときに、何を考えていたかと聞くことは、無意味だったかも知れないね。」
 これを受けて、ケートが口を開いた。
 「ポーがいおうとしたことは、引いていることばの直接的な意味ではないのじゃないでしょうか。つまり、ペンを手にしていないときは、どんな考えも――もちろん思想的な深みのある考えという意味での『考え』だけど――どんな考えも浮かばないということではなくて、思想は浮かびさえすれば、そして、それが本当の思想であれば、必ずことばで表せる、ということだと思います。そうだとすれば、あなたの質問は、まんざら無意味なものではなかったことになります。」
 「なるほど。それは君のいう通りだ。教科書のその次にあったモンテーニュの文は、『明瞭なる概念には、ことば直ちに従う』というホラチウスのことばを敷衍したものだった。
 「ところで、同じ国語の教科書の、『小説入門』から取られた文章だったかの中に、ことばは感情を規格化し、非個性化するものだ、とあっただろう。そこにも誰かのことばが引用されていた。そう、ヴァレリーだ。『本当に個性的な経験には、それを表現することばはない』と。これを読んだとき、ぼくは、それまで考えていながら、ただ巧みに表現出来なかったことが代弁されたように感じたよ。
 「だって、そうじゃないか。大きな感動をした瞬間に、人は何をいうことが出来ようか。しかし、その人はその瞬間に一つの経験を得て、新しい思想を形成するに違いない。だが、こう考えると、先のポーやモンテーニュと矛盾するようだ。」
 「何もいえないってことは、実際にありますね。だけど、瞬間的な経験がすぐに思想の形成にはならないでしょう? 思想ってものは、経験を積み重ねたあとで、その堆積物に推理のノミで彫りつけるようなものじゃないでしょうか。そうして出来上がる彫り物は、他の人たちから客観的に理解されるものでなくちゃいけないでしょう?」
 「……君は、お父さんが理論物理学者だけあって、すべてを数字に置き換えるような、なかなかきちんとした考え方をするんだね。……」
 常夫は角帽を脱いで額の汗を拭おうとし、ポケットからハンカチを取り出した。すると、ハンカチと一緒に一枚の紙片がついて来て、はらりと歩道へ落ちた。それが空中で一度ひるがえるのを見た常夫は、読書中に抜き書きしたメモだったことに気づき、かがんでそれを拾った。メモには「最も貴重なものは、人間の孤独な心のうちにある――スタインベック」とあった。
 ケートの靴はこつこつと石畳を打って、両のかかとが一直線上を進む進み方で、常夫より数歩先へ出た。彼女の足を後ろから見ながら、常夫は、靴音の快い響きが、あたかも、割り切った考えを生む彼女の頭の働きと彼女の身体の軽快さをそのまま表しているように思った。追いつきながら、常夫は話を続けた。
 「しかし、君は、ことばの論理性を主張しようとするのだろうか。そうだとすれば、いまのたとえでは不十分だね。君は、正しい思想とは、客観的で明快なものに練り上げられていなくてはならないということを述べはしたが、ことばがそれを表現する道具として十分な機能を備えているかどうか、それが問題だ。」
 「そうでしたね。でも、その問題には、たやすく答えられます。あなたは、ヴァレリーのことばがあなたのお考えを巧みに表したものだっておっしゃったでしょう。それは、一つの難しい思想が、ことばでうまく表現出来た例じゃない? あなたがヴァレリーのことばを見つける前に表現出来なかったってことは、ただ、こういっちゃ悪いけど、あなたがそのことばを自分で探し出す労苦を払わなかっただけのことだと思うけれど。」[つづく]

2013年10月8日火曜日

Sam の創作「橋」への感想 (4)


友人たちとの文通記録

Ted から Sam へ: 1959 年 12 月 29 日[つづき]
「私がここでこの欄干といっしょに落ちて死ねば、市でも代りの丈夫な欄干を急いで作ってくれるだろうと思ったものですから。」
と晴子がいうところには、鋭い社会批評の片鱗が見られて、ここは私がこの作品の中で一番面白く思ったところである。また、この作品の中では、この前後の、ほとんど発端というべきところが、同時に山になってしまっていると思われる。

 君の文章の傾向について、「コント風の味がある」というようなことを、私は以前に書いたことがあるが、この作も、後半は、君独特の軽妙な奇知で、さっと流されている感じだ。欲をいえば、軽妙過ぎて、深みがとぼしいということになる。

 他にもいくつか気づいた細かい点は、この感想を君に渡すときに口頭で伝えよう。(注 1)[完]
引用時の注
  1.  54 年も前に自分の書いたこの感想を、いま読み返してみると、「細かい点は、[…]口頭で伝えよう」といいながら、書いてあることも、かなり細かい点ばかりという気がする。主題は何で、それがどう扱われていて、その効果がどうか、という大局的な感想が欠けている。第三者(54 年後の私も第三者である)が読むことを意識して書いてはいないので、読んで作品の筋が理解出来ないことは、ある程度止むを得ない。しかし、ヒロインが自殺を考えたのは、深刻なテーマのはずであり、それに対する感想を中心に据えるべきではなかったか。「軽妙過ぎて、深みがとぼしい」は、ある意味では、全体的な感想だったのだろうが…。
     Sam の高校 3 年のときの創作への感想を掲載したついでに、消滅したブログに一度掲載した、私の同時期の創作「逍遥試し」を再掲載しようと思う。