2013年9月5日木曜日

英語の試験は芳しくない/「友が皆我より偉く…」について


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 5 日(水)雨

 雨が降ってきたので、練習不可能となり、まだ二十分ぐらいあるのに終わったが、早飯をする気になれない。

 "I have nothing further to say on the subject." というのは、どう訳したらよいだろうかね。これのほかに、"Fill in blanks." のところで、"In time television may be ( ) popular ( ) the radio now." を間違えたりしたから、芳しい成績ではない。
 第六限はアセンブリーに変更され、一年生は出席しなくてもよいことになったから、いつもの二倍ぐらいタイプの練習が出来る。アセンブリーの方は、金大・某教授の「家」についての講話だそうだ。



Ted: 1951 年 12 月 6 日(木)曇り

 昨夜は、NJB の「バイバイ・ゲーム」と ABC の「頭の体操」を半分ずつ(アースをとってないせいか、電波の調子のよいときでないと、民間放送はよく聞こえないようだ)聞いたりして、九時に寝てしまった。
 試験問題は、大したものではなかった。しかし、労働組合の争議権を知らなかった。"It may work." と "... if it works ..." の、ピッタリした訳が書けなかった。"I hope he will soon get well ." の soon を最後に書いても間違いではないだろう。啄木の「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」という短歌を鑑賞して、百字以内の文を作るのがあった。YMG 君は、妻が死んだのだといっていた。ぼくは、「自分の努力が足りないことを自覚して、これからいっそう励もうという作者の心構えが…」などと書いたが、どうだろう*。これだけが「問題のある」問題の全部だ。
Ted による欄外注記
 * Jack が先生に聞いたところ、死んだのではなく、暮らしが貧しいのだと説明されたそうだ。

2013年9月4日水曜日

「おぼしき事いはぬは…」


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 5 日(水)曇り一時雨

 どうすればその場に当たって自分の力を、どこかにひっかかって出て来なかったり、出し損なって方向違いに走ったりしないで出し切れるかぐらいは、周囲が平常とは違うのだから、考えてみないでもない。

 先生が皆の意見を聞く国語乙の授業は、整理番号順に当てて行かれた。いままでに何度も当てられたか自発的に発言した者は省かれたので、つまらなかった。『徒然草』第十九段に「おぼしき事いはぬは、腹ふくるるわざ…」とあったのを、「あはれ」と感じた。
 黒板にどこかの高校生のだという三首の短歌が書かれていて、その鑑賞をしてもよかったのだが、大抵の者は、第二芸術論についてそれを否定、または肯定する、あるいはそれらの中間を取る意見を述べた。Dan が「俳句は造花をするのと同じようなことだから…」といったのは、まとまった考え方の一つだった。
 第二芸術と考えないという論では、芭蕉や蕪村や啄木や日本独特のよさや簡潔で深遠ということなどが引き合いに出され、その反対の論では、字数の窮屈なこと、世界的でないこと、人生いかにあるべきかを詠んだ句が見当たらないこと、などが一人ひとりの短い論旨(というほどでもないが)の中心だった。
 何でもつらつらとしゃべればよいのに、「あと回しにして下さい」という者が数人いて、中学での音楽の歌唱試験のことが思い出された。NKM 君が「私は」といってから、「桑原武夫ですが」といったので、一同は笑った。桑原の原を隆起させて、山にしてしまい、Peanut 先生と混同したような名をいった者もいた。

2013年9月3日火曜日

生徒議会が進行やり直し


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 4 日(火)

 この前の定期考査の答案が返される。予想していたより九点だけよい。
 第三限にはずっと前の英語の試験が返されたが、これは九十点満点のところ六十点以上が四人しかいなかったそうだ。残念ながら、ぼくはその仲間入りするのに一割だけ不足していた。先生がぼくの方を向いて、「そこらあたりに相当出来そうな人がいるんだけど、案外駄目でした」といわれたときは、悲しかった。

 C の時間に議会が開かれる。議題は、
  一、執行委員補選の件
  二、執行委員・議員の掃除復活に関する件
  三、会則修正の件。
 まず、一について、新会長の Ban 君から、現在執行委員が一年二名、二年一名不足していて、補選の必要があるが、それには手数と時間がかかるので人選を執行委員会にまかせてほしい、と議案説明があり、討論なく可決。二については、従来、執行委員および議員に対しては掃除が免除されていたが、生徒会の活動が不活発であるようならば、復活してはどうか、と会長から要望があり、続いて、三、会則に役員の任期その他の点に不備があるから修正しては、と執行委員会側から動議があったが、それについて再び某議員が会則の一部を修正することを動議し、これが採択され、討論のないまま採決し可決。
 折から遅れて入って来た三年の議員が、ただいまの採決はおかしいではないかと質問し、ついに議長は「私のミスで」といわざるを得なくなった。そこで、議事がもめ始め、某議員の動議は撤回され、第一歩からやり直し。まず、修正の必要があるか否かについて討論採決し、修正の必要が認められ、第二歩として、議会側から五名の会則修正委員を指名するという動議があり、可決。これに対して執行委員会側から発言がある。そこで、再び二について、それを某議員が動議として提出したが、これは否決。このとき、会長が立って、掃除の復活は勿論望むところではないが、生徒会に対して誠意を示してもらいたいと発言する。かくして三時二十分閉会。

2013年9月2日月曜日

Vicky が遅刻して


高校(1 年生)時代の交換日記から

Ted: 1951 年 12 月 4 日(火)曇り時々雨

 昨日から三十分遅く始まることになったのに、Vicky は遅刻して解析の教室へ走り込んで来て、「のびた!(注 1)」と叫んだ。
 六限、座席の決まっていない生物の教室へ行くと、前の方がほとんど一杯だったので、いつになく後ろへ行って鞄を置いた場所が、真ん中の列を対称軸として「のびた人」と対象の位置だった。確かにそうだったはずだが、彼女が、「血が凝固しなかったならば、出血したときに、どんどん…」と、中学で習った復習のような答えをしたときには、私から逃げた(のじゃあるまいが)ような、最窓側の位置にいた。AS 先生が、骨髄内で赤血球が製造されて、そこから骨膜へ来ている血管へ、どのように運搬されるかを、「戦時中、山奥の工場で飛行機を作って」という例えで話されたのは、これで三度になる。
 血(を沢山書く日だ)液が顔にばかり集まって、不愉快な気分だ。先週のきょうもこうだったようだ。一週間毎に熱の出る風邪かな? 一斉テストだというのに、体の調子が悪くてはいけない。
引用時の注
  1. 「疲れた!」の意。

2013年9月1日日曜日

HRA の話はいつも…


高校(1 年生)時代の交換日記から

Sam: 1951 年 12 月 3 日(月)

 破れても泥んこになってもかまわないシャツとトレパンをつけて来いといわれた。ラグビーのボールを小型にしたボールを使ってする競技だ。アメリカン・フットボールをモディファイしたものだそうだ。
 H 時には、ホームで文集を発行するかどうかと、掃除用具の不足をどう解決するか、の二つについて話し合おうとしたのだが、ほとんど意見が出ない。前者は保留、後者はホーム PTA のほうから金を出して貰って、ほうきを買うことにする。
 そのあと、HRA から小説についての話をして貰う。先生の話はいつも経済を基盤としたものになる。それと、『リーダーズ・ダイジェスト』あたりを読むととか、『産業経済新聞』あたりを見るととかいわれるのも癖だ。
 英語はどうしたわけか休講になる。NHK broadcast program は一枚だけ打てた。日曜から火曜までである。これならば、二枚の紙に全部打てそうだ。文字の位置の決定に大分時間をとられた。
(注 1)
引用時の注
  1. NHK ラジオの毎週決まっている番組を英訳して表にしたものを私が作り、そのタイプ打ちを Sam に頼んだのである。